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第13章⑲

「失礼します。黒木、金本の両名、参上しました」  黒木の後ろに続く形で、金本は戦隊長室に入室した。  戦隊長はいつものように腰を下ろしたまま、二人の航空兵を迎え入れた。連日、激務が続いている影響だろう。あまり顔色がよくなかった。  それでも、二人に向かって笑みらしきものを浮かべた。 「ゆっくり養生できたか、金本曹長?」 「はい。おかげさまで、すっかり回復いたしました」 「一週間も寝ていれば、途中からヒマを持て余したのではないか?」  冗談交じりの言葉に、金本はあいまいにうなずく。  黒木が病院に入り浸っていたことは、どうも戦隊長の耳まで届いていないらしい。  と、思っていたら――。 「ところで昨夜は黒木大尉と、どこに行っていたんだ?」  油断したところに、不意打ちをくらった。 「今朝、病院に連絡をしたら、昨日の夜の内に黒木に連れ出されたと聞いたものでな。驚いたぞ」 「いえ、それは…」  金本はしどろもどろになる。弁解しようと口を開きかけた時、黒木にむこうずねを蹴られた。その様子は、座っている戦隊長の位置からはちょうど見えなかった。  痛みをこらえる金本をよそに、 「俺の家です」  黒木がしれっと答えたものだから、金本は目を白黒させた。 「曹長の快気祝いにかこつけて、一杯やってたんです」  黒木は、酒の入ったおちょこを干すまねをしてみせる。 「顔をみるに、一杯二杯ではなさそうだな」  戦隊長は嫌味を言って、「そんなころだろうと思った」とばかりに首を振った。  あまりに堂々とした黒木の態度に、金本でさえそうだったのではないかと、一瞬信じかけた。もちろん、事実は違う。酒など一滴も飲まず、午前何時かまで延々と情交を重ねていた。 ――そういえば。花札でやくざから酒を巻き上げた前科があったな、この男…。  おそらくはったりをきかす能力が、そういうところでも十二分に発揮されているに違いなかった。 「金本曹長をあまり叱らんでやってください。誘ったのは俺なので」  黒木は殊勝げに言った。白々しいとはこのことだ。 「…まあいい」  戦隊長はそれ以上、深く追求する気はないようだ。金本はひとまず、胸をなでおろした。 「――黒木大尉」  戦隊長が口調を改める。 「新しい『飛燕』が、本日付で納入された。すでに大格納庫で整備兵による点検が行われている。終わり次第、試験飛行を行い、慣らせておくように」  それを聞いた黒木が瞳を輝かせた。つい一週間前、あやうく墜落死しかけた。それでも乗る飛行機があり、それを操縦できる喜びはなにものにも代えがたい。この心理は筋金入りの搭乗員でなければ理解できない類のものだろう。  さらに戦隊長は続けた。 「一昨日、再びB29による大規模な侵入があった。しかし目標は帝都ではなく、名古屋だった。周知のように、名古屋には重要な航空機工場がいくつも存在している。先日の空襲でも、発動機の工場が狙われて、少なからぬ被害を出したことが報告された。この事態を受けて、防衛総司令部は、敵爆撃部隊の攻撃目標に名古屋が加わったと判断した。そして、第十飛行師団を通じて、我が戦隊に名古屋に近い浜松へ転進するよう命令がくだった」  戦隊長はそこでひと息ついて言った。 「黒木栄也大尉。本日をもって貴官を特別攻撃隊より外し、『はなどり隊』の隊長に改めて任ずる。それから、金本勇曹長。『はなどり隊』の搭乗員として今後も隊を支え、貢献するように――貴官らの活躍に、期待している」 「つつしんで、お受けします」黒木がかしこまって答えると、 「身命を賭して、励みます」金本もそれに続いた。  戦隊長の前から退いたあと、黒木が金本に言った。 「ほらな。俺の言った通りになったろう。また一緒に、飛べるようになった」  まぶしいくらいの笑顔を見て、金本も表情をゆるめる。  やはり夢はしょせん夢だった。ようやく抱いていた不安が氷解した。  黒木と金本が戦隊本部の建物から出て来る。  二人のくつろいだ姿を見た笠倉は、「うまくいったか」とつぶやいた。  タバコをくわえたまま、腰に手をやり、背筋を伸ばす。気分は爽快には程遠い。  恨めしさが半分。  そして、安堵が半分といったところか。 「…まあ。あの美人を後ろから撃たずに済んだだけ、よしとしとくか」    笠倉はしょうがない、というようにタバコのけむりを吐いて、頭をかいた。

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