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第13章⑳
――さかのぼること数日前。
河内作治大佐と小脇順右少佐が調布飛行場を訪れた日である。
笠倉は戦隊本部の前で、大叔父である河内が乗った公用車を見送った。
そして、その車影が完全に消え去るより先に、きびすを返して三階建ての建物へ走りこんだ。階段を一目散に駆け上がる。そのまま、笠倉は誰にも見とがめられることなく、戦隊長室の前までたどり着いた。
扉をたたいた笠倉は、入室許可も得ない内に室内にすべりこんだ。
突然の闖入者の登場に、戦隊長はあんぐりと口をあけた。
「『はなどり隊』、笠倉孝曹長。緊急に申し上げたいことがあって、参りました」
笠倉は急いで名乗り上げる。
それから戦隊長が自失から立ち直り、怒鳴り声をあげるより先に言った。
「先ほどまでこちらにいた河内作治大佐は、俺の大叔父です」
「…なんだと?」
「大叔父は、黒木大尉をもう一度特攻に出せと言ってきたんじゃないですか?」
戦隊長の顔色が変わる。笠倉は心の中で、「予想的中」とぼやく。やはり大叔父はわざわざ調布飛行場まで足を運んで、直接圧力をかけてきた。胃が痛くなりそうな状況だった。
――面倒きわまりないな。
元来、笠倉は日和見主義の信奉者だ。長いものには巻かれろ。上には逆らうな、だ。
しかし――幸か不幸か、盲目的に権力に従うには、あまりにものが見えすぎた。
笠倉は戦隊長に深刻な顔つきで告げた。
「大叔父に、何をふきこまれたか知りませんが。その通りにしたら、ろくなことになりませんよ」
河内に唯々諾々と従えば、どんな未来が待っているか。
破滅しかないと、笠倉は正確に見抜いていた。
そのあと笠倉は、戦隊長にすべてを暴露した。
そもそも明野飛行場から調布への転属が河内大佐の意向であったこと、その目的は笠倉に黒木の死を見届けさせることであったこと、それが終われば明野へ戻れるはずだったこと。
さらに、黒木が特攻隊員として再出撃する時、彼を撃墜するよう暗に言い含められたこと等々――。
聞き終えた戦隊長は、憮然とした態で腕を組んだ。
悩んだ末、彼もまた笠倉に対して、黒木と上層部との間に生まれた確執や、さらに黒木だけでなく金本も特攻隊に入れるよう河内大佐と小脇少佐に迫られたことを明かした。
孤立無援の戦隊長にとって、突然現れた笠倉は、河内たちから吹っかけられた難問を理解し合える唯一の相手だった。
こうして、本来いくつも存在する階級によって隔てられていた二人の男は、奇妙な形で同盟を組むことになった。
「…なるほど。話を聞く限り、大叔父たちは最初、黒木大尉を精神的に追いつめる気だったんですね」
「そうだ。自分か金本曹長か、どちらを特攻に出すか黒木に選ばせろと」
「そして黒木大尉は自分が行くことを選んで、生還した。大叔父ともう一人…小脇少佐でしたっけ。その二人にとっては、なんとも面白くない結果になったわけだ」
「元々、黒木に直接辱めを受けた小脇少佐の方が、黒木の死を望んでいたと思うが。今では小脇少佐だけではなく、河内大佐も黒木をなんとかして葬り去る気になっている。さらに、金本曹長もだ」
戦隊長はため息をつき、笠倉に同情の目を向ける。
「おそらくだが。河内大佐が貴官をここに送り込んだのは、単に黒木の死を確認するだけではなく、最初から、保険の意味もあったんだろう。黒木が万一、生還した場合……始末するための手駒として」
聞いた笠倉は、みぞおちのあたりが重くなった。
タバコを喫いたい。それより酒精 度の高い酒がほしい。
大叔父のことは嫌いだが、それでも身内だ。そこまで冷酷無情な人間だとは、思いたくなかった。だが、現実に河内は黒木を亡き者にする手伝いをするよう笠倉に言ってきた。
それは変えようのない事実だった。
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