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第14章① 一九四七年八月

 巣鴨プリズンは、横浜に司令部を置くアメリカ陸軍第八軍の管轄下にある。実際に管理を統轄するのは、第八軍憲兵司令官のC.V.キャドウェル大佐である。  キャドウェル大佐が緊急連絡を受け、プリズンに到着した頃、クリアウォーターとカトウはグリーン地区の本庁舎内に設けられた礼拝堂にいた。別に何かを祈るために来たのではない。プリズンの所長から、ここで待機するよう命令されたのであり、実際には待機という名の軟禁であった。  見張りこそつけられていないが、礼拝堂のすぐ外の廊下では第八軍の兵士たちが絶えず行き来している。クリアウォーターは一度、カトウと自分のために水とコーヒーをもらいに行ったが、看守のひとりに即座に見つかり、つれない態度で追い返された。また外部に電話をかけることも認められなかった。  クリアウォーターがやむなく礼拝堂に引き返すと、待っているはずのカトウの姿が消えている。トイレにでも行ったか、と思ってクリアウォーターが待っていると、カトウはまもなく戻って来た。  黒髪の部下の手には、水差しとコップが握られていた。 「…近くの部屋で見つけて、借用してきました。無断ですけど」 「緊急時だ。認められるよ」  クリアウォーターは乾いた笑いを浮かべた。閉じ込められていることに、いいかげん腹が立っている。カトウのささやかな略奪行為を、とがめる気にはなれなかった。  共犯者になるべくクリアウォーターはコップを受け取り、なまぬるい水を口に含んだ。  逃亡した殺人犯カナモトを捕まえるために、今頃、都内では緊急手配が敷かれているだろう。早晩に、あの人殺しの牧師は捕まるはずだ……。  だが、常識的なその見解に、クリアウォーターは疑念を払しょくすることができなかった。  絶対に脱出不可能と思われていたこの刑務所から、あの男は逃亡を果たした。複数の武器を隠し持つ偏執的な周到さ、常人離れした身体能力、そして何より追いつめられて発揮された機転と度胸――殺人者の持つ様々な能力を、クリアウォーターは自ら目撃した。  GHQや日本警察の捜査をかいくぐり、カナモトは再び逃げおおせるのではないか――そんな不吉な予感が、クリアウォーターをとらえて離さなかった。  時計を見る。すでにカナモトが逃げ去ってから三時間。このままでは夜までここに足止めを食うかもしれない――。  長丁場を覚悟した直後、礼拝堂の扉が内側に向かって勢いよく開かれた。  クリアウォーターとカトウはそろって顔を上げた。  入って来たのは、よく日焼けした肌を持つ中年の士官だった。軍服はアイロンをかけてから少なくとも二三日は経過しているようだ。シワがよっていて、おまけに無頓着に着くずされている。それでも略帽につけられた階級章――大佐であることを示す翼を広げたワシー―は否応なく目についた。 「――参謀第二部(G2)から来た派手な赤毛野郎が、ここに閉じ込められていると聞いてな。やっぱりお前さんだったか」  大佐はクリアウォーターに向かってにやりと笑った。クリアウォーターは礼拝堂の長イスから立ち上がり、文句のつけようのない完璧な敬礼をささげた。 「…わざわざ確認に来ていただき、感謝します。キャドウェル大佐」

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