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第14章④
移動した先は普段、プリズンに勤める教誨師たちのオフィスであった。今そこは、キャドウェルが連れて来た第八軍のMP たちが、我が物顔で歩き回っている。元来の使用者たちは追いやられ、別の場所で尋問を受けているとのことだった。
コーヒーはあったものの、あいにくドーナッツの用意はなかった。かわりに安物のチョコレートバーをガリガリとかじるキャドウェルに向かって、クリアウォーターは今までのいきさつを説明した。
日本軍の元佐官であった小脇順右と河内作治が相次いで殺害されたこと。二人の殺害現場には血で書かれた文字が残されており、それによって同一犯による連続殺人事件と考えられること。そして今回、巣鴨プリズンの構内にある観音堂で発見された血文字は、内容と筆跡から同一犯が書いたとみなせること――。
血文字があった観音堂では、手塚正太郎という囚人が刺殺体となって発見された。さらにクリアウォーターとカトウと面識があった甲本貴助が銃で撃たれ、こちらも重傷を負っている。
「銃撃された甲本の容体はどうなっています?」
クリアウォーターの問いに、キャドウェルは肩をすくめる。
「搬送先からは今のところ、何の連絡もない。だが、銃弾の当たり所が当たり所だ。俺なら、今日中に霊安室に移る方に賭けるな。残念ながら」
「………」
甲本に対して、クリアウォーターは嫌悪を抱いてきた。よくしたもので、甲本の方でも占領軍の少佐のことを蛇蝎のごとく嫌っていた。そのような関係ではあったが、いざ死ぬらしいと聞かされると、クリアウォーターの胸中は穏やかではいられなかった。
地面に倒れ伏した甲本の姿が脳裏をよぎる。クリアウォーターが駆けつけた時、すでに虫の息だった。しかし甲本はクリアウォーターの存在に気づいた瞬間、わずかの間であったが持ち直した。
虚ろだった両眼に憎悪と執念を燃やして、元憲兵だった男は何かを伝えようとしていた。
――聞け。あの牧師はカナモト…イサミ……やつの名前……人だ――
カナモトイサミ。それが牧師の名前だと言いたかったのか?
あるいは……――。
クリアウォーターの思考はキャドウェルの声に中断させられた。
「――お前さんの話をまとめるとこういうことか。カナモトは前にも日本の元軍人を殺して、その現場に血文字を残してきた。そして、この巣鴨プリズンに潜入して手塚と甲本という囚人を殺し、そのついでに毒キノコを使って無差別殺人をたくらんだ、と」
その言葉にクリアウォーターは難しい顔になる。
「確かに、表面的にはそのように見えます。私も最初、そう考えていました。ですがそれだと、カナモトの行動に説明がつかない部分が出てくるんです」
「何?」
「実は、私はまぬけにも、あと一歩のところでカナモトを逃がしてしまったんです」
クリアウォーターは自分が犯した痛恨の過ちを語った。
言葉をひとつ紡ぐたびに、舌に苦い味がこみあげる。「もしも」という仮定は無意味だ。けれども、もし――あの時点でカナモトを確保できていれば、牧師がそのあと引き起こす殺人を未然に防げたはずだ。
手塚だけでなく、見張り塔とゲートに詰めていた二人のアメリカ軍兵士は、命を落とさずに済んだはずだった。
「――私と鉢合わせた時、カナモトは監房棟のあるレッド地区にいたのですが。目撃した看守の話では、牧師は本庁舎のあるグリーン地区に通じる扉の方へ、歩いて行ったそうです」
「…そいつは当然、二人の囚人が襲われる前の話だよな」
「はい」
「確かにおかしいな。それだとまるで、普通にプリズンの外へ出ようとしていたように見える」
「まさに、そうだったのではないかと思います」
クリアウォーターは言った。
「囚人の食事にドクツルタケが入っていると知って、私は急いで警報装置を作動させて、様子を見に来た囚人たちに食事に口をつけないよう警告しました。その騒ぎはレッド地区内にいたカナモトの耳にも届いたと考えられます。遅かれ早かれ、毒キノコを持ち込んだ人間が自分だと見破られる――そう考えたカナモトが、次にどんな行動を取るかと推測すると……」
「バレる前に、ずらかろうとする」
キャドウェルは答え、手をさまよわせた。三本目のチョコレートバーを食べるか否か迷うそぶりを見せる。だが、事件発生時の状況を知りたい気持ちが、食欲に勝ったようだ。
憲兵司令官はチョコレートバーを一時、あきらめて言った。
「逃げ出そうとした殺人牧師は運悪く、短時間で毒殺魔をつきとめたお前さんに、出くわしたというわけか」
「…ええ。グリーン地区への脱出路を絶たれてしまったカナモトは、とっさにレッド地区へ引き返した。もちろん、歩き回っていたらすぐに見つかってしまう。一時的にでも、身を隠すことができる場所が彼には必要だった――その時に、自分が血文字を残した観音堂に身をひそめることを思いついたのではないでしょうか」
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