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第14章⑤
観音堂の入口には、水の入ったバケツが放置されていた。さらにホウキとチリトリに加え、ほこりを落とすためのハタキも。
囚人たちは労務の一環として、プリズン内の清掃を割り当てられることがある。甲本と手塚は清掃のために訪れた観音堂で、たまたま逃げ込んできたカナモトに行き合わせたせいで、襲撃されたのではないか……。
クリアウォーターの推測を聞き終えたキャドウェルは、そばにいた兵士を手招きし、甲本たちの今日の労務に観音堂の清掃が含まれていたかを確認させに行った。
それが済むと、憲兵司令官はクリアウォーターに向き直った。
「お前さんの推測が正しいとするとだ。殺人牧師のそもそもの目的は毒キノコで、囚人の誰かを毒殺することだったということか。あるいは、囚人なら誰でもいい。無差別殺人をたくらんだか」
「完全に、誰でもいいという訳ではなかったかと思います」
「根拠は?」
「カナモトはドクツルタケをわたす時、わざわざ高齢の囚人たちに食べさせるよう頼んでいたそうです」
「ほう…」
キャドウェルが口をすぼめる。吹きそこなった口笛のような音が上がる。
「年寄りの囚人は、相対的に地位や階級が高いな」
「はい。実際に囚人用厨房 のコックを問い質したら、調理されたドクツルタケの味噌汁は、レッド地区にある六つの監房の内、第一棟と第二棟、それからブルー地区の収監者たちに配膳されたと答えました」
レッド地区にある二棟の収監者は、佐官以上だった者たちが少なくない。
カナモトがその中に含まれる特定の個人を狙ったのか否かは、現時点ではまだ定かでない。ただ、今回の一件で明らかになったことがある。
小脇順右は刺殺。河内作治は焼殺。そして今回、ドクツルタケを用いた時間差の大量殺人が計画され、それが頓挫した時、ナイフと拳銃と手りゅう弾による殺傷が起こった。
カナモトの殺人の手段は、ひとつに限定されていない。むしろ、あきれるほど多様だ。
それはつまり――彼が次にどんな方法で人を殺めるか、予測が極めて難しいということだ。
加えて、自分の目的を達する過程で、ためらいが微塵も見られない。一つでも十分に危うい性質が、二つそろっているときている。
クリアウォーターが知る限りでも、群を抜いて危険な殺人者だった。
その時、先ほど出て行った第八軍の兵士が、もうひとり別の兵士と連れ立って戻って来た。まず、最初のひとりの口からクリアウォーターの推測が正しかったことが伝えられた。甲本と手塚は労務作業として、観音堂の清掃を命じられていたことが判明した。
そしてもう一人から、カナモトの行方に関する最新の情報がもたらされた。
「プリズンのゲートで強奪されたトラックが、先ほどMP によって発見されました」
場所は米軍によってO通り と呼ばれている中山道と、荒川が交差する地点から少し離れた田園地帯だった。
「人殺しの牧師は?」
キャドウェルが勢い込んで尋ねる。兵士の返答はかんばしいものではなかった。乗り捨てられたトラックにも、その付近にも、逃走したカナモトの姿は影も形もなかった。
それを耳にしたキャドウェルは、下世話な物言いに慣れた兵士すら赤面させる罵言を吐いた。幸か不幸か、南部なまりがきつすぎて、そばで聞いていたクリアウォーターとカトウには、半分も理解できなかった。
「……このへんが決断時だな」
キャドウェルはつぶやく。すでに逃走したトラックの捜索の協力を、警視庁へ依頼していた。その際、トラックの運転手が銃器および他の武器を所持していることも伝えた。
しかし巣鴨プリズン内で発生したもろもろの事態については、いまだ明かしていなかった。
「日本警察に、ここで起こった事件を知らせる」
キャドウェルは言った。
「だが、ことがことだ。情報の統制は必要だ…クリアウォーター少佐。お前さんのボス、参謀第二部 のW将軍閣下と話がしたい。パイプ役を頼めるか?」
「喜んで」
クリアウォーターの返答に、キャドウェルはうなずく。それから、思い出したようにつけ加えた。
「逃亡したカナモトについて、将軍にはこう伝えておいてくれ。『やつは危険な敵だ』と」
そう言い放った時のキャドウェルの顔は、一切の妥協を受けつけない巖のようであった。
初めて見せる峻厳さを前に、クリアウォーターは理解する。
C.V.キャドウェル大佐は、無用の敵をつくらない。だが、ひとたび敵に回った相手に対しては、容赦なく無慈悲になれる。
クリアウォーターと、そのそばで影のように控えていたカトウに向かってキャドウェルは告げた。
「お前さんたち。特にカトウ軍曹。次にあの牧師を見かけたら、即撃ち殺せ。それで文句を言う輩がいたら、俺のところに連れてこい――これ以上、あの殺人鬼野郎に好き勝手はさせん」
第八軍憲兵司令官による、ひそやかな宣戦布告であった。
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