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第14章⑨

「はい。こちら日米共同史料…」 「対敵諜報部隊(CIC)のセルゲイ・ソコワスキーだ。ダニエル・クリアウォーター少佐につないでくれ」  あの赤毛の男であれば、なにか知っているかもしれない。そう思っての行動だった。  しかし――。 「えー、ムリです」  電話の向こうの声が上ずる。 「ダンは今、いません。今日の午後、大変なことが起きちゃって。それにダンとジョージ・アキラ・カトウが巻き込まれて……」 「何だって?」  ソコワスキーは思わず聞き返した。急いで質問を重ねるが、相手は緊張からか、興奮からか、話すことがなかなか要領を得ない。  いいかげん、ソコワスキーが怒り出しそうになった時、横にいたヤコブソンがおっかなびっくり申し出た。 「俺がかわりましょうか? 多分、知っているやつですから」  ソコワスキーは苦々しい顔で、部下に受話器をわたした。 「もしもし。トノーニ・ジュゼベ・ルシアーノ・フェルミだろ。俺だ。ジョン・ヤコブソンだ。……お、おう。割と元気だ。……今? いや、詳しくは話せないが、少なくとも東京にはいない。セルゲイ・ソコワスキー少佐たちと出張中なんだ。うん……――」  ソコワスキーは、ヤコブソンと電話の相手であるフェルミのやり取りに、聞き耳を立てた。聞き覚えのある地名や人名が、ヤコブソンの口から飛び出す。それからしばらくすると、大男の横顔が徐々にこわばってきた。  ヤコブソンが受話器を下ろし、ソコワスキーの方を向いた。 「巣鴨プリズンで銃火器による殺傷事件が起こったそうです。囚人と看守に死者が出ていて、逃げた犯人はまだ捕まっていないらしいです」  驚くソコワスキーに、ヤコブソンはさらに告げた。 「それで、事件が起こった時、プリズンにたまたまクリアウォーター少佐とカトウ軍曹が居合わせたようです」 「二人は無事か?」 「はい。フェルミが言うには、ケガもなく大丈夫だそうです。ただ、逃走中の犯人を捕まえるために、第八軍の憲兵司令官に協力していて、いつ帰って来られるかは分からないみたいです。土曜日ですけど、U機関の面々にも召集がかかって、犯人について調査中だそうです」  そこまで聞いて、ようやくソコワスキーは合点がいった。連合国軍が管轄する刑務所――それも大勢の戦犯が収容されている巣鴨プリズンで発生した事件で、おまけに犯人がまだつかまっていないときている。  第八軍の憲兵(MP)だけでは手に余る事態に、対敵諜報部隊(CIC)にも協力要請が来たのだろう。今頃は、報道規制や犯人捜索のために、てんてこまいになっているはずだ。  フェルミから得られるだけの情報を得て、電話を切ったソコワスキーは、ヤコブソンに食事をここへ運んでくるように言った。それから、事件についてさらに情報を得ておくべく、心当たりのある人間たちに電話をかけはじめた。  …それから約三十分後のことである。  旅館のガラス戸があわただしく叩かれ、何匹かの虫と共に制服警官が飛び込んできた。  警官の目がとらえたのは、旅館の廊下に片膝を立てて座るアメリカ陸軍少佐の姿だった。黒電話を床に置き、左手で受話器を握って、もう片方の手にはしを持っている。  ただし、二本のはしはフォークのように握られて、その先っぽに板前が工夫して洋風に仕立てたニンジンの甘煮をぶっ刺していた。無作法なこと、この上ない。  もし日本生まれ(BIJ)のダニエル・クリアウォーター少佐がこの場にいたら、日本の礼儀作法に無頓着すぎる同輩に向けて、二三言、苦言を呈しただろう。無論、一介の警官にそんな度胸があるはずもない。というより、とがめる余裕もなかった。  警官の顔に常ならぬ様子を認めたソコワスキーは、急いでアカマツ少尉を呼んだ。二階からアカマツが下りてくると、警官は矢つぎ早に日本語で何かをまくしたてた。  聞いたアカマツが血相を変えて、ソコワスキーを振り返った。 「少佐。緊急事態です。とんでもないことが起こりました」

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