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第14章⑬
青年は一度、隣町にある自宅へ戻った。正確には彼の叔父の家であり、しばらく前から下宿人のような形でやっかいになっていた。
炭鉱夫だった父は青年が幼い頃に、落盤事故で死んだ。母親は生来病弱で、息子が少年飛行学校へ入る前年、他界した。二人の姉は健在であったが、彼女たちはすでに結婚して別の町で暮らしている。
敗戦後、しばらく東京やその近隣を転々としていた青年は、どうにも行き場がなく、故郷に戻って伯父の家の門をたたいた。追い払われてもやむなしと思っていたが、多分に任侠的性格を帯びた――要するに面倒見のよい伯父は、しばらく会っていなかった甥を快く迎え入れて、一緒に暮らすことを許してくれた。家には青年だけでなく、ほかに五、六人の親族が居ついていて、次の転居先を見つけるまで自由に出入りしていた。
伯父には恩義がある。できるだけ、自分のやることに巻き込みたくはない。
青年は戻るとすぐに、飛行兵時代から使い続けている背嚢に荷物をまとめた。さらに短い別れの手紙をしたため、それを仏壇の目立つところに置くと、ほかの家人に見つからないうちに庭を横切って、裏木戸から外へ出た。
向かったのは町の中心にある鉄道駅である。あの場所に行くには、途中までは列車で、そのあとは徒歩の旅となる。
駅のロータリー近くまで来た時、ちょうど停車中の列車の汽笛が聞こえてきた。
その直後、駅の改札口から、占領軍の軍服を着た数人の男がゾロゾロと出て来た。
青年はギョッと目をむいた。反射的に背を向けかけ、そんなことをする方が目立つと寸前で気づく。仕方なく、駅舎の壁に寄りかかり、誰かを待つようなそぶりでごまかした。
そうしながら、以前、空中でアメリカの航空隊に遭遇した時のように、カーキ色の一団に素早く目を走らせた。
一番目を引く半白髪の男が、彼らのリーダーのようだ。年寄りかと思ったが、顔を見ればまだ若い。せいぜい三十前後ではないかと思われたが、胸にはアメリカ軍少佐の階級章をつけている。後ろにやたらとでかい男がひかえているせいで、その少佐は実際の身長よりも小さく見えた。
彼らは自分たちの会話に集中していて、青年の方には目もくれなかった。そのままロータリーに止まっていた車に乗り込むと、ほどなく姿を消した。
青年は入れかわる形で、切符の販売所へ向かい、用意してきた紙を示して目的地までの乗車券を購入する。荷物を置いて待合のイスに腰かけると、ようやくそこで緊張をといた。
途端に、自分の心配は杞憂だったのではないかと思い始める。
敗戦以来、こんな田舎の町ですら時々、占領軍の将兵の姿を見かけるようになった。あの一団は、青年や田宮たちとはまったく無関係の用事で、ここを訪れたのかもしれない。
だが一方で、千代の知らせを受けて、尽忠報国隊の面々を逮捕しに来た者たちだと考えると、冷や汗が出た。
――田宮やほかの者たちはうまく逃げ切れるだろうか。それに、田宮はあの場所につながるような所持品をきちんと処分してくれるだろうか……。
今さらながら不安がつのる。
しかし何よりの不安材料はほかでもない――千代の存在だ。
尽忠報国隊の面々は捕まりたくないから全力で身を隠すし、捕まってもすぐには口を割らないだろう――おそらく。
しかし、千代は違う。もし彼女に警察にでも駆け込まれたら、その瞬間にすべてが台無しになる。なんといっても、千代は天皇誘拐の方法をすでに知っているのだ。
青年は思いつめた表情で両手を見つめた。
一番、確実な方法は分かっている。
今のうちに千代の口を封じてしまうことだ。仲間たち――尽忠報国隊の連中ではなく、本当の仲間たちだ――の身を案じ、彼らに対して誠実であろうとするなら、そうするべきだ。
だが、青年は迷った。B29やグラマン相手なら、いくらでも機銃を撃ちこめる。しかし、顔見知りの、親切心から忠告までしてきた少々おせっかいな女となると――。
傷を負い、声を奪われて以来、青年は以前よりも物事をつきつめて考えるようになった。殺す以外の方法はないかと、あれこれ頭をひねる。
その間にも、待合室に少しずつ人が増えてくる。もうすぐ乗るべき列車が到着する。これを逃せば、目的地まで行く次の便は、日没後まで待たなければいけなくなる。
その時、またひとり、行商人らしい老婆がひょこひょこと入って来た。大きな行李を背負っている。行李を見た青年は、ひとひとりくらい入りそうだな、と思った。
そこでひとつ、妙案が浮かんだ。
これから向かう目的地に、田宮と千代を一緒に連れていくのはどうだ?
睡眠薬を飲ませて千代を眠らせてしまえば、田宮と交代で担いで行ける。長くても、何時間かの旅だ。とにかく、あの場所にたどりつきさえすれば、千代を閉じ込めておける場所はいくつもある。
彼女には悪いが、命を落とすことを思えば、数日間の軟禁は耐えてもらうしかない。
意を決した青年は立ち上がり、急いで田宮の屋敷へ引き返した。
駅の構内では、列車の到着を告げる駅員の声が響いていた。
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