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第14章⑭

 …再び目覚めた時、千代は暗闇の中にいた。手足がしばられ、横たえられた状態にあった。目と鼻の先にはか細い光が、一条の筋となって差し込んでいる。  自分は一体、どこに監禁されたのか。  知りたい千代は、痛みをこらえて光の方へにじりよった。  ふすまとふすまの隙間から、使い慣れた鏡台が見えた。毎日、出し入れしている桐のタンスも。なんのことはない。千代は自分の部屋の押し入れの中に閉じ込められていた。室内の明るさの加減から、すでに夕刻に近いことを悟った。 ――なんとか。逃げられないかしら。  千代は痛む手足を動かし、縛めをゆるめようとした。  その途端、廊下に面したふすまが開いて、田宮が部屋に入ってくるのが見えた。千代は慌てて動きを止める。その直後、田宮が押し入れの戸を開いた。  千代は手足を投げ出し、気絶しているふりをした。  しかし田宮は容赦なく、妻の身体を蹴った。 「起きろ」  もうこれ以上、痛めつけられたくない千代は、しぶしぶ今、目が覚めたという態でまぶたを開けた。 「今から、縄をほどいてやる」  千代が聞いていることを確認し、田宮は続けた。 「だが、逃げようなんて思うんじゃないぞ。今後は、俺の言うことに一切逆らうな。歯向かうそぶりを少しでも見せたら――今度こそ、お前をなぶり殺しにしてやる」  その言葉が単なる脅しで済むとは、千代は思わなかった。従うという意思を示すために、首をたてにふる。  今は抵抗しても仕方がない。そうする気力も、湧いてこなかった。  縄をほどかれ、自由を取り戻した千代の前に、田宮が古い旅行鞄を放り投げた。 「今夜中にこの家を離れる。持ち出したい大事なものがあるだろう。その鞄につめろ」  千代はのろのろと立ち上がり、言われた通りにした。  嫁入りの時、母から譲られた宝石類。めったに着ることがなかった大島紬の着物。自分名義の通帳と印鑑。千代が黙々とそれらを入れる様子を、田宮は薄笑いを浮かべて眺めていた。  つめ終えると、田宮は帯にさしていたボロ布を取り出した。 「出発まで、(くら)にいろ。おとなしくできるなら、足の縄はかんべんしてやる。だが、叫ばれると面倒だから口はふさぐぞ」  千代は布の正体を知って吐き気がした。便所の床を掃除するためのボロきれを、田宮がわざわざ選んで持って来たからだ。  千代は泣き出したいのを、ぐっとこらえた。今は抵抗せず、屈辱に耐えろと自分に言い聞かせる。逃げ出す機会は必ずめぐってくると、彼女は信じていた。  田宮は布を猿ぐつわがわりに妻の口にかませ、さらに両手を前でしばった。そして千代にかわって鞄を持ち上げ、彼女を立たせた。  田宮に追い立てられるまま、千代は電灯のついていない廊下をわたって庭に出た。  すでに日が暮れて、あたりはすっかり暗くなっている。履物をはくことは許されなかった。千代はしかたなく、足袋が汚れるまま、地面の上を歩いた。  そのまま十歩ほど進んだ時である。背後を歩いていた田宮がいきなり、千代の肩をつかんで停止させた。  そこはちょうど、庭にある井戸の真横であった。 「……お前は誰かから聞いたか? 俺の前の妻は、この井戸に身を投げて死んだんだ」  千代はとまどった。  なぜ田宮が急にそんな話を切り出したのか、理解できなかった。 「あれはバカな女だった。さして美人でもなかったのに、浮気をしてそれが知られたのを恥じてここに身を投げた。本当に、バカでうすのろな奴だった」  田宮が千代の腰に腕を回す。  妻の耳元に顔を近づけると、男は耳ざわりな声で笑いながら言った。 「まったく、俺は本当に気の毒な男だよな。娶った妻はそろいもそろって、バカでうすのろで淫乱で――どいつもこいつも、同じような死に方をするんだから」

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