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第15章① 一九四五年一月
開けたばかりのビール瓶に口をつけ、その大尉は言った。
「――B29による日本本土への爆撃が始まった頃、搭乗員たちが一番、恐れていたのはなんといってもジャップの体当たり攻撃でした」
マリアナ諸島・サイパン島。アイズリー飛行場。
海に近い士官用宿舎の休憩スペースに、六人の男たちが顔をそろえていた。
昼下がりの暑い時間帯である。普段であれば、必ずひとりは日陰に吊るされたハンモックに寝そべって午睡を取り、そのまわりで昼寝しそこねた人間が時間つぶしのカードに興じたり、レコードを聴いているところだ。しかし今日ばかりは網の上は無人で、時おり吹く風にゆらゆらと揺れていた。
六人の内、五人までがこの宿舎を割り当てられたB29のパイロットや航法士たちだった。彼らはある陸軍少佐の依頼を受けて、日本本土上空での戦闘の仔細を伝えるためにここに集まっていた。
その陸軍少佐――ヴィンセント・E・グラハムは、黒に近い鋼色の髪を揺らし、B29のパイロットである大尉に、話を続けるよううながした。大尉はグラハムが手土産に持参したビールをまた一口、飲んで言った。
「最初の集団爆撃に参加した搭乗員が何人も、トージョー の体当たりを味方機が食らって落ちていくのを見ていましたから。あれはトラウマになりますよ。でも、今はそれだけじゃない。最初の頃に比べれば、明らかにジャップの航空隊の反撃が激しく、巧妙になってきています」
その言葉に別の男が同意する。爆撃団の中ではもっとも若いパイロットだとグラハムは聞いていたが、度重なる長距離の爆撃任務を経た結果、顔はやつれ、実年齢よりずっと老けて見えた。その彼が言った。
「前回の名古屋への爆撃は最悪でしたよ。今までも危ない時はあったが、あの時ばかりは飛んでいる間、ずっと神に祈っていました。高射砲の爆発で目がくらんだかと思うと、顔が分かるくらいの距離までジャップの戦闘機がせまってきて、何度も機銃を撃ち込んでくるんですから。エンジンがふたつ停まって、レーダーもやられました。味方に援護してもらって、かろうじて脱出できましたが……ここに戻って、こうしてまた酒を飲めるのが、今でも奇跡だと思います」
「貴官はこの上なく、勇敢なパイロットだ」
心をこめてグラハムがねぎらうと、聞いた男ははにかむように笑った。その一瞬だけ、彼は二十五歳という年齢相応に見えた。
――フレデリックと同じ年だな。
死んだ従兄弟のことを思い出し、グラハムは胸が痛んだ。
若いパイロットの方も、何か思ったようだ。不意に笑みをひっこめた。
「…今のほめ言葉。できたら他のやつにかけてやってください」
そう言って椅子から立ち上がると、パイロットは飲みかけのビール瓶をかかげた。
「俺の悪友だったダグラス・ロイ中尉に。地上ではおもちゃのヘビにビビるような腰抜けだったが、空の上では誰よりも勇敢だった。ジャップの機銃で右腕をふっ飛ばされながらも、あきらめずに機体を洋上に脱出させ、ついに仲間を救って自分は命を落とした友に!――」
ほかの四人と共に、グラハムもビール瓶を掲げて「ダグラス・ロイ中尉に」と唱和した。
着席すると、グラハムの隣に座っていた航法士がはじめて口を開いた。
その顔には、やり場のない憤りが見て取れた。
「前回の名古屋行きは、死傷者がとりわけ多かったんです。機体は持ちこたえて帰ってこれたものの、復路の七時間の間に出血多量で死んだ搭乗員が何人もいました……確かに、日本軍の反撃は激しかった。けれど死人とけが人が増えた理由は、それだけじゃない」
「…高度のことか?」
グラハムが指摘すると、相手は勢いよくうなずいた。
「ここだけの話。新しくグアムにやって来た司令官は、すさまじく不人気ですよ。彼が、最初に俺たちに何を命じたと思います? ――爆撃時の高度を、これまでより五〇〇〇フィート(約一六〇〇メートル)も低い二万五〇〇〇フィート(約七六〇〇メートル)にしろ、ですよ。高度が低くなれば、それだけ敵の高射砲は狙いやすくなるし、戦闘機も戦いやすくなる。そんなことは素人でも分かるだろうに――」
航法士だけでなく、グラハムも暗澹たる気分になった。
先ごろ、エイモス・ウィンズロウ大尉が仕入れてきた噂は現実のものとなった。
爆撃の効果を上げ、日本人たちを一日も早く降伏させるために、司令部はレーダーを頼りにした高高度爆撃ではなく、より低い高度での爆撃飛行をする方針に転換した。
それはつまり、B29の搭乗員が、今まで以上に危険な任務に就かされることを意味した。
戦争だから仕方がないと、言う者もいる。しかし、グラハムはいまだに割り切れなかった。
とりわけ危地に追いやられる男たちを前にしては――もしフレデリックが生きていたら、きっと一緒に憤慨していただろう。
その時、先ほどロイ中尉をたたえたパイロットが、再び口を開いた。
「ジャップの戦闘機も、種類が増えている気がします。とにかく反撃のために、ありったけの数をそろえてきている感じですね。トージョー でしょう。それからトニー 、ニック 、アービング ……」
「俺は旧式のオスカー やゼロ も見かけた」別のパイロットが応じる。
「あと、フランク とジャック も。単体なら、ジャック がいちばん近づいてきて欲しくないですね。火力が強力で、こちらの機銃の死角から暴れ牛みたいに突きあがってくる。あれは怖いですよ。でも…」
そこでパイロットたちが、互いに目を見かわした。
「今、上空でもっとも会いたくないのは、トニー の集団ですね」
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