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第15章③
前回、サイパン島へ降り立ったのは、従兄弟のフレデリックと会うためだった。結局それが従兄弟との永遠の別れになってしまった。フレデリックの戦死の報せは、すでにアメリカ本国に暮らす両親のもとへ届いているはずだ。
そして今回。グラハムは日本への爆撃に参加したB29の搭乗員たちに広くインタビューを行うため、再びこの島に降り立った。
来たる日本本土上空での戦いに備え、B29の搭乗員から聞き取りを行う――。
グラハムが彼の所属する戦闘航空団の長にその案を提案した時、最初に返ってきた返事は「ノー」だった。グラハムはあきらめない。上官のオフィスにおもむいて、直接、自分の考えを説明した。
P-51による周辺海域の哨戒任務を軽視するつもりはない。しかし戦いを有利に進めるためには、敵の実力を知る必要がある。しかも情報は多く、正確であればあるほどよい云々――こうして一時間ほどかけて根気よく説得を行った結果、最後には上官の首をたてに振らせることに成功したのである。
アイズリー飛行場にたどり着くと、そこでは次の出撃へ向けてB29の整備が行われていた。パイロットたちの口にものぼっていたが、少なからぬ超空の要塞 が、先の爆撃任務で翼や胴体に日本軍機の機銃を受けた。その弾痕をふさぎ、見えない所に損傷がないかを確認する作業が、急ピッチで進められている。それが終われば、再び日本本土へ爆弾と新しく開発された焼夷弾を投下するために、飛んでいくことになるのだ。
超空の要塞 が修復される様子を眺めながら、グラハムは飛行場のいちばん隅にある駐機スペースへ向かった。そこはもっぱら、サイパン島へ物資や人員を運ぶ輸送機のために設けられた場所だった。この島に来る時、グラハムが自ら操縦してきた航空機も、そこで再び飛び立つ時まで翼を休めている。
グラハムの愛機。最新型のP-51Dマスタングはアメリカで最高の――いや、世界中を眺めても間違いなく、もっとも素晴らしい戦闘機だ。
搭載されているエンジンは、イギリスのロールス・ロイス社が開発したマーリンエンジンである。この世界最高峰の液冷エンジンに、空気の圧力を高め、酸素をより多く取りこむことを可能とする過給機が組み合わさった結果、毎時五八〇キロの巡航速度と、高度七六〇〇メートルで最大時速七百キロという恐るべき運動性能を持つ戦闘機が誕生した。P-51は武装も強力で、一二.七ミリ機銃を六砲備えつけ、場合によっては機体下部に二発の爆弾を取りつけることも可能であった。
以前、グラハムの機体にはアメリカ軍機であることを示す胴体の星のマーク、そして尾翼の機体番号をのぞけば、装飾らしい装飾はほどこされていなかった。雪山にも似た美しい白銀の機体にペイントは不要、というのがグラハムの考え方だった。日本軍機の撃墜数を示す小さな旭日旗さえ、周りからの要望でしぶしぶ描くようになったくらいである。
しかし今、グラハムの愛機には一月前にはなかった図案が加わっている。
黒服を着て、首にロザリオをかけた男。その顔はおどろおどろしい骸骨である。コミックブック「ブラック・トルネード」に登場するキャラクター、骸骨神父 は、戦死したフレデリックが搭乗していたB29に描かれていた。フレデリックたちの死をしのび、それを無駄にはしまいという決意をこめて、グラハムは自分のP-51に死をもたらす不吉な聖職者の姿をあえて描かせた。
愛機のそばまで行くと、ちょうど四日前にP-51とグラハムを迎えてくれた整備兵がいた。グラハムは挨拶がてら彼に手を振る。それから愛機の翼によじのぼり、水滴型の風防ガラスを開けて、操縦席に身体をすべりこませた。
座席に背中をあずけると、自然と気分が落ち着いてきた。飛行できればさらにいいのだが、さすがに用事もないのに機体を飛ばすことはできない。日本軍の奇襲でもあれば話は別だが……――。
それをどこかで期待している自分に気づき、グラハムは皮肉っぽい気分になった。
すばらしい妻がいて、愛してやまない子どもがいる。妻子のそばにいて、もっと父親らしいことをしてやりたいと本気で思う。
だが一方で、一日も早く日本本土上空へ飛んでいき、一戦を交えることを渇望している自分が確かに存在した。フレデリックたちのかたきを取りたい、というのも理由のひとつだ。
だが、根底にあるのは、もっと単純な衝動だった。
飛びたい。戦いたい。優れた敵と技量を競い合った末に、相手を撃ち落としたい――。
それはおそらく、大多数の人間には共感を得られない欲求だろう。戦闘が続き、何度も危険な目に遭えば、それを忌避するようになるのが普通だ――普通のようだから。
だが連合国の一員としてアメリカが戦争に加わり、グラハムも実戦で最初の敵機を撃墜して以来、自分が一般的な人間と感覚が違うことに気づいた。
戦えば戦うほど、次の戦いをひそかに待ち望むようになった。
ヴィンセント・E・グラハムは、自分が根っからの戦闘機乗りであることを理解した。
グラハムは夕暮れ時の空を見上げた。淡い紫色の世界に、一番星がキラキラとダイヤモンドのような輝きを放っている。
再び、危険飛行をするあのトニー のパイロットのことを考えた。戦う機会が、果たしてくるだろうか。分からない。だがもし、運命のめぐりあわせでそうなった時は――。
是が非でもグラハム自身の手で、そのトニー を撃ち落としたかった。
グラハムは操縦席に座ったまま目を閉じる。熱烈な片思いをする男が相手の女の姿を求めるように、まぶたの裏でトニー の姿を思い描こうとした。
それから十数秒後、グラハムはがばっと身を起こした。
「黄色のミートボール じゃなくて……月か!」
急いでしまってあった紙を取り出し、描かれたトニーのマークを眺めた。
「黄色の円は月。赤は……」
水平線の彼方へ太陽が沈んでいく。その光が消え去る寸前、グラハムはつぶやいた。
「――花だ。間違いない。このマークは、月と花だ」
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