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第15章⑤

「……よし!」  金本の視線の先で、火災が発生したB29が徐々に編隊から引き離されていく。そこに高度八千メートルにいた笠倉たちの小隊が襲いかかった。離れていても一二.七ミリ機銃の弾が何発も命中したのが金本には分かった。  しかし、黒煙を噴きながらもB29は飛び続けた。  さらに味方の被弾に気づいたのだろう。先行していた二機のB29が速度を落とす。そのまま、まるで本物のくじらがケガをした群れの仲間を守るように左右にしっかりと寄り添った。  二頭の金属の巨鯨は周囲に向けて、勢いよく機銃を撃ち出した。威嚇している。蒼穹に曳光弾が幾度もきらめくさまは、あたかも海面に吹き出す(しお)を思わせた。  飛燕の操縦席で金本は顔をしかめる。こうなると再度の攻撃は困難だ。たとえ、損傷したB29が高度を落としてきても、左右の仲間が機銃で死角をおぎない合って、小癪な燕を近づかせないだろう。  その時、再び雑音まじりの無線が入った。 「――こちら、黒木。『つり止め』。『つり止め(攻撃中止)』。やられたやつはいないか?」 「全機、無事です」と金本。 「こっちも全員、いまーす」こちらは笠倉だ。  黒木、金本、笠倉の間であわただしく交信が交わされる。すぐに、援護にまわったB29の片方に、金本、笠倉の小隊と黒木の小隊の二機が集中的に攻撃をしかけること、その間に黒木が僚機の今村和時少尉とともに、損傷機の直上を目指すことが決まった。  すでに何度も行った戦法だ。最初の集中攻撃で落とせない場合でも、再び高度をとってしつこく食らいついていく。やられる側からすれば、たまったものではないだろう。だが、確実に相手を撃墜するには、これがもっとも効果的な方法だと、すでに金本たちは経験的に分かっていた。  まずは笠倉の小隊と合流して編隊を組み直す。その後、全速力で追撃にうつる。スロットル全開で上昇を続ける金本の目に、その時、B29のさらに上空を飛ぶ一機の戦闘機が映った。  飛燕だった。ただし、はなどり隊の所属機ではない。  それは――特攻機だった。  操縦席の中で、金本はただ息をつめて見ていることしかできなかった。  北上を続ける三機の内、東側を飛ぶB29めがけて、特攻機は前上方から突入した。  気づいたB29から狂ったように機銃の弾が吐き出される。ジュラルミンの燕は、たちまち炎に包まれた。しかし燃えながらも、飛燕は最後まで突っ切った。  衝突の瞬間に発生した爆発で、B29の銀色の地肌が炎の色に染まった。  その直後、ぶつかった胴体中央部から、クジラの巨体は三つほどの塊に引き裂かれた。そのまま、それぞれが大きな火球となり、回転しながら金本たちのいる高度を突き抜け、地上めがけて落ちていった。 ――撃墜(いち)。撃破(いち)。  それが今回、名古屋・東京を狙って来たB29の来襲に対し、はなどり隊が上げた「戦果」だった。最初に攻撃したB29は、東京に侵入する寸前で撃墜に成功した。また三機で唯一、残っていた機についても、洋上へ逃げるまで追いかけて損傷を与えた。  その日の内に特攻機による攻撃で五機が、さらに飛行師団全体で二十二機のB29が撃墜されたと発表された。前回の名古屋空襲に続く大きな戦果である。帝都上空を防衛する飛行師団は面目を保った形となり、飛行師団長から各飛行隊には賞賛と激励の言葉が寄せられた。  しかし――。 「――結局、今回も名古屋と東京は何百人も死傷者が出て、どちらも街に大きな被害を受けた。米軍の空襲を、阻止することはできていない。俺たちがやっていることは本当に意味があるのか、分からなくなる」  黒木は金本と二人きりの時に、苦い顔で語った。  この戦争は日本の負けだ――黒木が金本に言ってから、二ヶ月が経つ。  それから現在までの間に、日本にとっていいニュースは何ひとつなかった。フィリピンでは陸海軍によって編成された特別攻撃隊がいくつも送り込まれたものの、敵の勢いを止めることはできなかった。レイテ島に続き、ルソン島が米軍を前に陥落しつつある。  また日本が死守する硫黄島にも連日、B29がやって来て空襲を行っている。  そこに米軍が上陸するのは、もはや時間の問題だとみなされていた。 「――俺たちがやれることを精一杯やりましょう」  金本はそう言って、黒木をなだめるしかなかった。  日に日に厳しさを増す戦局は、無視しようと思っても無視できるものではない。街が焼け落ちる光景は、一度見れば忘れられるものではない。  けれども、起こるすべての悲劇に、ひとりの人間が責任を持てるわけもなかった。  終わりの見えない悪夢にも似た現実に、四六時中向き合っていては、身体より先に心が蝕まれて壊れてしまいそうだった。

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