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第15章⑥
日本の航空隊による激しい反撃には、それなりの効果があったようだ。
名古屋と東京に対する爆撃から一週間。それまで数日おきにあったB29の爆撃がぴたりと途絶えた。単機の侵入はあったものの、編隊を組んで現れることはなく、久方ぶりに日本の空は平穏を取り戻した。
「この際、敵さんが休んでいる間に、俺たちもちょいと息抜きしませんか」
はなどり隊の笠倉孝曹長が、黒木をつかまえて提案をしたのは、ちょうどそんな頃だった。
「聞けば飛行場から車で一時間くらいのところに、兵隊御用達の温泉旅館があるそうですよ。一日二日くらいなら、羽目を外してもバチは当たらないと思うんですが…」
「なにをのんきなことを」
黒木はあきれた顔になる。しかし、すぐそばで聞いていた金本が、
「いいんじゃないですか」
と支持に回った。不審をあらわにする黒木に、金本は説明した。
「浜松に来て以来、ずっと出撃続きで緊張状態が続いていますから。一度くらい、気分転換を図ってもよいと思います」
「そうそう。よその隊もですけど、出撃が続いて搭乗員は多かれ少なかれ消耗しています。身体だけでなく精神的に参っているやつが、ちらほらいるようで……」
言いながら、笠倉はちょうどピストで仮眠を取る今村和時少尉の方へ意味ありげに目をやった。はなどり隊の副隊長は、少し前からもっぱら胃痛と頭痛に悩まされている。頬がこけて、以前より顔色も悪くなった今村から目をそらし、黒木は舌打ちした。
「…戦隊長どのに相談してみよう」
そのまま黒木が話を上へ持っていくと、即日、各隊で二名ないし三名ずつ交代で外泊する許可が下りた。
搭乗員たちが、喜び舞い上がったのは言うまでもなかった。
「――というわけで。二人ずつ組をつくれ。そのあと、休暇の順番を決めるくじ引きをする」
黒木が声がけすると同時に、搭乗員たちはめいめい普段から仲の良い相手を選んでペアをつくった。はなどり隊には今、予備も含めて十四人の搭乗員がいるので、七組となるしだいだ。
黒木は当然のように、金本と組んだ。
そして公正なるくじ引きの結果、偶然にも黒木たちが最初に休暇の恩恵に浴すことになった。ちなみに発案者である笠倉と、どういう経緯でかペアを組むことになった東智伍長は運悪く最後の順番となった。
「あーあ。ついてねぇ…」
ぼやく笠倉と、それから副隊長の今村に留守をまかせ、黒木と金本は翌日、別の隊の搭乗員二人とトラックで飛行場を出発した。帰着は次の日の昼の予定だった。
金本はいつものように荷台を選ぶ。その隣に黒木も座った。いちばん階級が高いので、同行者たちにこぞって助手席をすすめられたが、「余計な気を回さなくていい」と言下に断った。
出発してほどなく、黒木が金本に向かって口を開いた。
「――温泉とか。久しく行く機会がなかったな」
「最後に休暇を取られたのはいつです?」
「忘れた。内地に帰ってからなら、多分はじめてじゃないか。お前は?」
「俺も同じです。だから、つい笠倉曹長の話に乗ってしまいました」
「こいつめ」
黒木が笑った。風に吹かれて、くつろいでいる様子に金本はほっとした。
B29の迎撃戦で誰よりも神経をすり減らしているのは、他ならぬ隊長の黒木だ。搭乗員たちの前では何でもないようにふるまっているが、寝ている時以外、常に気が張っている。そのことに金本はだいぶ前から気づいていて、心配の種のひとつになっていた。
今日明日のたった二日間ではあるが、黒木には飛行場を離れて少しでも気をゆるめてほしかった。
「…まあ、うるさい隊長がいない間、今村たちも羽を伸ばすだろう」
「『鬼のいぬ間に洗濯』というわけですね」
金本が言うと、黒木は鼻をならした。
「お前はその鬼と明日まで一緒に過ごすわけだ。気の毒な話だな」
「気の毒? こんなきれいな鬼なら、ちっとも悪くないですよ」
「…この! そんなこと言っていたら、寝ている間に食っちまうぞ」
黒木は笑いながら金本の腕をつかみ、「がぶっ」と噛むまねをした。
黒木のこんな子供っぽい仕草を見るのも久しぶりのことだ。
やっぱり笠倉の提案に乗って正解だったと、金本は心の内で思った。
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