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第15章⑦
「――今日と明日くらいは空が静かだといいですね」
金本が言うと、黒木が「そうだな」と応じた。
旅館についた後、ゆっくり風呂につかって、泊まる部屋で夕食をとった。食糧難が深刻になっていると聞くが、都市を少し離れた農村ではまだいくらか余裕がある。出された食事は、平時に飛行場で食べているものより上等で味もよかった。
食後、黒木はわざわざ明かりを消して、灯火管制の黒いカーテンと一緒に窓を少しだけ開けた。タバコに火をつけ一服入れるためだ。
布団を敷き終えた金本は、その姿にしばらく見入った。ただ佇んでいるだけなのに、ぼうっと暗闇に浮かぶ黒木の輪郭には、古刹で見る彫刻のような趣があった。
立ち上がり、黒木の背後にそっと忍び寄る。金本は後ろから腕を回し、変わらず美しい男を抱きしめた。黒木は微笑むと、喫っていたタバコを金本の口にくわえさせた。
十分に味わってから、金本は紫煙を窓の外の暗闇へ向かってふき出した。
「…少し早いけど休むか」
今は二人きりだ。金本は敬語を使わず黒木にたずねた。
「それとも、もう少しタバコ喫うか?」
「いいや。もう十分だ」
黒木は持っていた灰皿に吸い殻を落とす。金本を見つめ、にやりと笑う。
「休みじゃなくて。ある意味、これからが本番だろう――蘭洙」
黒木もまた二人きりになってようやく、金本を本名で呼んだ。
黒木の言ったことを、金本は否定しなかった。そうするかわりに、顔を寄せて口づける。窓を閉めると、黒木の手を引いて布団のある方へいざなった。
時間も人の耳目も気にせず、行為に及ぶのは久しぶりのことだった。少し前に調布へ戻った機会に、黒木の下宿で交わったが、ほんの二、三時間で飛行場へ引き返さなければならなかった。普段はそんな余裕もない。皆が寝静まった後、外で抱擁や接吻をかわすのがせいぜいだ。
服を脱いで、二人は布団の中にもぐりこむ。
足をからませてくる黒木の口に、金本は指を入れた。身体を重ねる機会は限られているが、かわりに抱擁と口づけを欠かした夜はない。色々な形で接吻や愛撫を試している内に、ひょんなことから指で舌を撫でられると黒木がひどく興奮することを金本は発見した。
「ふ……あ……」
「指をかみちぎらないでくれよ」
口の端から唾液を垂らし、あえぐ黒木の耳元で金本はささやく。そのまま耳に唇を押しつけ、ねぶりながらうなじをなぞると、黒木がいっそう快感に耐えかねて声を上げた。
最初の頃、金本は愛撫の知識など皆無だった。ただ黒木が自分にすることを真似ている内に、だんだんやり方が飲みこめてきた。と同時に、自分と黒木とでは快楽を覚える部位が違うことも分かってくる。
胸よりもやわらかい腹の方を、手ではなく口で触れられる方が黒木は歓ぶ。力をこめない、触れるか触れないくらいの繊細な愛撫を彼は好んだ。総じて、柔和なやり方で愛されるのがいいらしい。
金本のもので貫かれている間もそうだ。性急で激しい交わりより、時間をかけて達する方が好きだと本人は言う。
「乱暴に奥の方を突かれると……あれだ。ちょっと怖いんだよ」
それを聞いた時、金本は可笑しくなった。
空の上であれだけ無謀で命知らずな戦い方をする男が、そんなことを言うのが意外でならなかった。
そして本音を言えば、金本は黒木の望むような交わり方では物足りない。激しいのがいい。最初に交わった時のように、黒木が我を忘れるくらいに乱れて、声を上げて啼くのが見たい。
噛んで跡をつけたり、皮膚にあざを残すのはもってのほかだが――交わって興奮してくると、それすら欲してしまう。
けれども今日は息抜きの日だ。少しでも、黒木をいたわってやりたい。
そう思って、金本は相手の望むやり方で最後までしてやった。
「…今日は妙にやさしいな。どうした?」
互いに達した直後、黒木がささやいた。声も顔もとろけて恍惚としている。金本は答えるかわりに、黒木のぬれそぼった赤い唇を柔らかく吸った。
しばらくそのまま、抱き合って二人は互いの口を味わった。
それが落ち着いた時、黒木が不意に言った。
「なあ、蘭洙。もし生きのびたら、お前、何がしたい?」
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