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第15章⑨
黒木が息抜きをする二日間くらい、空が静かであればいい――金本のその願いは残念ながら実現しなかった。二日目の昼、飛行場へ戻った矢先、腰を下ろす間もなく、けたたましいサイレンが鳴り出した。空襲警報だった。
『はなどり隊』を含め、戦隊全機に出動命令がくだる。ただし飛ぶ先は帝都ではない。名古屋でもなかった。
この日、実に百三十機を数える大編隊のB29が、和歌山県の潮岬上空を北上してきた。爆撃の目標は当初、大阪と予測された。しかし実際に焼き払われたのは、さらに西にある神戸であった。B29は街の南西部に広がる工業地帯と造船所を狙って次々と爆弾と焼夷弾を落とし、そこを焼け野原にした。さらに別働部隊によって、三重の松坂も標的にされた。
黒木と金本たちは出撃したものの、この日は残念ながら一機も撃墜できずに終わった。
再びB29による爆撃が始まった。しかも今後は東京や名古屋以外の地方都市に標的がうつっていくのではないか――金本たちが帰投した夜、そのような憶測が、あらゆるところでささやかれた。
しかし神戸を主たる標的とした来襲のあと、敵は再び巣穴に首を引っ込めてしまった。
B29は来ないか、来ても単機で飛んでくるだけの日が続いた。
「前の爆撃から、また一週間くらいで来るんじゃないですか」
ある日の昼食、はなどり隊のピストでそんな不吉な予言をした搭乗員がいた。東智伍長である。たまたま隣に座っていた金本は聞き流したが、反対側にいた『はなどり隊』のもう一人の曹長――笠倉は、しかめ面でどんぶりを下げた。
「おまえなあ。そういうことは、思っても心の中にしまっておけよ。飯がマズくなるじゃねえか」
笠倉がぼやくのには理由がある。この前、B29の来襲があった後、戦隊長から「休暇」取得の一時中止を言い渡されたからだ。その後、再び許可が出たが、今度また大規模な編隊で来られたら、またぞろ延期になりかねない。
「俺は温泉につかるのを、楽しみにしてんだよ。おまえだってそうだろ」
笠倉は同意を求めたが、東の返答はつれないものだった。
「別に。俺はそこまでは」
「かーっ。これだから若いのは…」
「笠倉曹長も、まだお若いでしょう」
「若くねえよ。おまえ、俺をいくつだと思ってるんだ」
「三十五はいってないと思います」
「このやろう! まだ二十六だ!! どんだけ老けて見えてるんだよ…」
二人の応酬を眺めながら、金本は内心で、見れば見るほど奇妙な取り合わせだと思った。
年は離れている。同郷というわけでもない(東は福岡、笠倉は愛知の出だ)。さらに言うとウマが合っているわけでもなさそうだ。東は一応、礼儀は守っているが、笠倉を煙たく思っているのが見え見えで、決してなついてはいない。笠倉の方も、接する態度はぞんざいだ。
それでも食事時や休憩時など、気づくと互いに近いところに座って、今のような会話を交わしているのだから、不思議だった。
以前、東の隣にいたのは、少年飛行学校で同期の米田だった。
その米田が戦死した後、元々愛想のいい方でなかった東は、他人の神経を逆なでする言動が目立つようになった。
米田が死んだことがよほど堪えたんだろうと、はじめは東に同情していた隊員たちも、しだいに彼を遠巻きにするようになった。嫌われる一歩手前で踏みとどまっているのは、笠倉が東のとがった言動の大半を引き受けているからだ。
金本が入院中で、黒木も調布飛行場に不在だった時、特攻隊員へ志願しようとした東を引き止めて思いとどまらせたのも、笠倉だった。
戦隊長のところへ志願を直訴しに行こうとする東と、それを阻止しようとする今村の間に割って入った曹長は、東に向かって手を振った。
「やめとけ、やめとけ。今のおまえじゃ、突っ込む前にB29の機銃で蜂の巣にされて、墜とされるのがオチだ。犬死ほど、アホな死に方はないぞ」
東は言い返す言葉もなく、顔を真っ赤にして笠倉をにらんだ。よほどくやしかったようで、目に涙さえ溜めていたという。
「…それなら、教えてください。どういう飛び方をすれば、墜とされずに済むんです?」
「教えてやってもいいが、聞いただけで実行できる代物じゃない。まずは自分より上手い先輩の真似をして、もっとマシな飛び方を身につけてからにしろ」
笠倉は鼻であしらい、結局その場はそれで終わった。
だが、このやり取りがあった直後、今村が笠倉のところにやって来た。
「頼みがある、笠倉曹長。東とそちらの小隊の搭乗員を一人入れ替えて、あいつの面倒を見てもらえないか」
「はあ!? いやあ、それはどうかと……荷が重いですよ」
荷が重いというより、面倒くさいというのが正直な感想だった。
「俺では、東のやつを止められそうにないんだ」
今村はほとほと、困り果てているようだった。
「笠倉曹長は東にとって、少年飛行学校の大先輩だ。曹長の言うことなら、東も聞き入れて、早まった真似はしないと思う。米田が死んだことで今は頭に血がのぼっているが、いずれそれも冷めてくる。その時までこの通り、頼む!」
「いや、頼まれましてもねぇ……」
笠倉はうやむやにして逃げようとしたが、今村も簡単に食い下がらない。
結局、笠倉は根負けして引き受けてしまった。
ここで断ってもし東が武運つたなく死んだら、今村との間に遺恨が残る。それに隊長不在で、ただでさえ業務過多になっている今村が、気の毒でもあったからだ。
「……俺、最近、かなりがんばってるよな。黒木大尉と金本曹長の件でも骨を折ったし。もう『逃げの笠倉』なんて不名誉なあだ名、そろそろ返上してもいいんじゃないかなぁ…」
一人になった後、笠倉は自分で自分にぼやいてみせた。
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