284 / 370

第15章⑭

 二度の戦闘で「はなどり隊」の飛燕の大半は、燃料と弾薬が心もとない状態になっていた。  全機の無事を確認した後、編隊を組み直した黒木は無線で指示を飛ばした。 「補給のために調布飛行場へ向かう」  調布飛行場は、はなどり隊が所属する戦隊の元々の本拠地だ。戦隊が浜松に転進した後も、特別攻撃隊や一部の整備兵たちは残留しており、もっとも立ち寄りやすい飛行場だった。  しかし、その上空にたどり着いてから三十分近く、はなどり隊は飛行場の上を旋回しながら、待機を余儀なくされた。地上の管制官が言うには別の飛行隊が補給中であり、それが離陸するまでは着陸を許可できないとのことだ。待たされた末、滑走路に降り立った時、金本の飛燕の燃料計はほぼゼロに近い数字を示していた。  駐機場で補給を受ける間、金本は操縦席に座ったまま短い休息を取った。  その時、担当の整備兵の口から、思わぬ言葉を聞かされた。 「浜松の飛行場が艦載機の攻撃を受けたと、先ほど知らされました」 「•••なんだと。たしかか!?」 「はい。こちら(調 布)も最大限、警戒するよう戦隊本部から指示がありました。今、手の空いている人間で急いで防衛のための陣地を作っているところでして•••」 「それで、浜松の被害状況は?」  勢い込んで金本がたずねる。整備兵は申し訳なさそうに、「詳細は分かりません」と答えた。  金本は操縦席の中でため息をついた。浜松に残っている整備兵たち――中山や千葉のことが、心配だった。しかし、今は無事を祈るしかない。  別の整備兵が持ってきてくれた水筒から茶を飲み、金本は航空食をほんの少しだけかじった。食欲はなかったが、食べないと体がもたない。  もう一口、無理やり口に運ぼうとした時である。戦隊本部のスピーカーから空襲警報が鳴り出した。同時に、無線機から地上管制官の緊迫した声が飛び込んできた。 「――はなどり、はなどり。あおぞら(離陸せよ)あおぞら(離陸せよ)。繰り返す。あおぞら、あおぞら。敵艦載機、東京湾を北進中。高度は一〇(ヒトマル)(千メートル)――」  金本は食事を中断して叫んだ。 「今すぐ離陸する!」  地上の整備兵たちが慌てて、その指示に従った。まだ補給は完了していない。しかし、それを待っている場合ではなかった。  地上に停まっている航空機は、動かない的と同じだ。戦闘機の格好の餌食である。何をおいても、上空へ上げなければならなかった。  整備兵があわただしくガソリンを入れていたホースを抜きにかかる。金本は燃料計で残量を確認した。二時間、飛べるかどうかだ。先刻のような空中戦を行えば、一時間そこらしかもちそうにない。  それでも金本は仲間たちと再び飛び立つために、滑走路へ急いだ。  艦載機は低空で海上から侵入し、そのまま最短距離をとって調布へ向かって来た。  敵の狙いが調布飛行場と、そこに停まっている航空機であることは明らかであった。  「はなどり隊」はかろうじて全機、離陸することができた。しかし編隊を組むよりも敵が到来する方が早かった。  千メートルという低空でやって来たのは、F4Uコルセアであった。数は今までで一番少なく、はなどり隊とほぼ同数だ。彼らは調布飛行場の上空で飛燕がまごついているのを認めると、高度を上げて躊躇なく襲いかかってきた。  会敵してから、ほんのわずかな間で、金本は確信せざるを得なかった。  この敵は手ごわい。少なくとも、先ほど会敵したF6Fの集団より、個々の技量は上だ。 「今村、松岡、林原、竹内! 手近にいるやつを僚機にして組め!! 金本と笠倉もだ!」  戦いながら、黒木が矢継ぎ早に指示を飛ばす。  単機では死角が生じて、撃墜の確率が上がる。それを防ぐためだ。  金本はすぐそばを飛んでいた一機の飛燕に目をつけ、横に並んだ。根津という、最近新しく来た特操出身の搭乗員だ。闘争心は十分なのだが、敵を追い回すのに集中するあまり、自分が狙われる可能性に考えが及んでいない。黒木が戦闘前に行った注意について、どうも頭から抜け落ちているようだ。誰かが援護しなければ、早急に墜とされそうだった。  しかし金本が本当の懸念は、ほかにあった。ほかでもない、黒木である。はなどり隊の隊長は先ほどからずっと二機のF4Uに追い回されている。黒木の機体の尾翼には、桜と月をかたどった塗装がされている。それを目にした敵が、隊長機だと正しく見抜いたようだ。  目立つ塗装は狙われやすいーー金本が抱いた危惧は、ここにきて現実のものとなった。  飛燕の動きから、黒木にはまだ余裕が見て取れる。それでも金本はすぐにでも、救援に行きたかった。だが、こちらもF4Uに狙われている。今、根津を置き去りにしていくわけにはいかなかった。  その時、飛び回る黒木になんとか近づこうとする飛燕に、金本は気づいた。  機体番号から、それが今村の機であると悟る。この乱戦状態にあっても、なお黒木の僚機としての務めを果たそうとしているのだ。その光景に、金本は思いがけず感銘を受けた。  しかし心意気は立派でも、周囲の状況がなかなかそれを許さない。今村は根津より慎重で、飛び方もずっとうまい。それでも、目的を達せられるには、あと少し幸運が足りなかった。  そして、黒木の指示を守らず単機のままだったことが、致命的な結果を招いた。  金本が見ている目の前で、今村の飛燕の下方からF4Uが急上昇してきた。完全に死角だ。 「今村少尉、下に敵だ!!」  金本が無線で警告したが、間に合わなかった。一瞬、飛燕が斜め上へ抜けたが、F4Uの機銃を完全にかわすことはできなかった。六丁の一二.七ミリ機銃からの一連射が、飛燕の片翼に取り返しのつかない傷を与えた。追撃をかわそうと、旋回した途端、そのジュラルミンの翼が不自然な方向に曲がり、ねじ切れるようにへし折れた。  遠心力の働きで、強風に吹き飛ばされたように今村の飛燕がバランスを崩す。そのまま背面位になったかと思うと、きりもみ状態で大地へと吸い込まれていった。  戦闘中の金本に、その最後を見届ける余裕はなかった。

ともだちにシェアしよう!