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第15章⑰
古今東西、軍隊の規律を維持するのに階級の存在は欠かせない。
だが不幸にして、「はなどり隊」と「らいちょう隊」の隊長はどちらも大尉――同格だった。そのため、一方が他方に無条件で従うという流れにならなかった。
それでも救援を求めた方が下手に出るのが当然だろうと、黒木の元で戦う「はなどり隊」の面々は憤った。かたや「らいちょう隊」に属すある搭乗員は、階級こそ同じでも年齢は自分たちの隊長の方が上なのだから、黒木が指示を仰ぐべきだったと後に証言している。
このような状態で、両隊は合流しながらもすぐに連携が取れなかったーーこの後の被害を食い止められなかった原因は、まさにそこにあった。
…旋回したF6F約二十機が、背後から迫ってくる。
黒木は酸素マスクの下で、ありったけの罵言と呪詛を並べ立てた。地上であれば、日本刀片手に相手につめ寄れるだろうが、あいにく今は空の上だ。悪口を言うくらいが関の山だ。
「らいちょう隊」を見捨てるか、それとも不利を承知で戦うかーー。
歯ぎしりと共に、黒木は決断を下した。
「金本、笠倉! 前にいる敵十機に突っ込め! そのまま戦闘に入る」
苦渋の選択だった。どういう理由があろうとも、味方を置き去りにするわけにはいかない。犠牲覚悟で戦う以外に方策はなかった。
――こうなりゃ一秒でも早く、一機でも多く敵を墜とすしかない。
敵が怖気づいて退却すれば、それでいい。しかし、あくまで数と技量をたのみに猛攻をかけて来れば、最悪の結果を招くだろう。全くもって、見通しの明るくない賭けだ。
だが、やる他なかった。
…三分後、およそ五千メートル四方にわたる空域は、飛燕とF6F合わせて五十機ほどによる激しい乱戦状態となった。もし地上から眺めている人間がいたなら、さぞかし壮観であっただろう。後に報告されたところでは、二十分足らずのこの空戦で、敵味方合わせて計九機の戦闘機が永久に失われることになった。
その内、三機は「はなどり隊」の隊長が上げた戦果だった。F6Fのパイロットたちは、黒木栄也につけられた「羅刹女」のあだ名を知らない。けれども、その凄まじい戦いぶりを目にした彼らによって、アメリカ海軍航空隊の間で「黄色い日の丸と赤い模様」を持つトニー は、こう呼ばれるようになった。
「トチ狂 った トニー」と。
…急降下で逃げるF6Fを黒木は単機で追う。僚機の松岡ははぐれて、にわかに姿が見えない。もっともこの場合、一人の方が好都合だった。
時速八百キロを超す速度で、黒木は獲物の背後にぴたりと張りつく。落下するF6Fはギリギリまで操縦桿を引き起こさない。しかし地上まで千八百メートルを切ったところで、地面との激突を回避するためにやむなく水平飛行へうつった。
照準器の中でF6Fの機体がふくれ上がる。彼我の距離が百メートルを切った時、黒木は機銃を撃ち込んだ。弾丸は命中したが、頑丈な「性悪女 」を撃墜するには至らない。そのまま擦らんかりの近さで、黒木の飛燕はF6Fのそばをすり抜けて、猛スピードで墜ちていった。
それを見たF6Fのパイロットは歓声を上げた。
「クソッタレのジャップめ。自滅しやがった!」
高度計の数値は八百メートルを切っている。調子に乗って高さを見誤ったトニー が大地に激突したことを、パイロットは疑わなかった。しかしその十数秒後、悪寒を感じて後ろを振り返ったパイロットは、魂が消し飛ぶ恐怖の光景を目にした。
守護天使ならぬ、守護悪魔がついているとしか思えない。
あのトニー が急上昇してきて、二百メートルの距離にまで迫って来ていた。
パニックに襲われたF6Fのパイロットは反射的に急上昇にうつった。冷静さを失った彼は、戦闘前、日本軍機について言い渡された警句を完全に忘れていた。
――トニー が相手の時、真上へ逃げるのは厳禁だ。よほどの幸運に恵まれない限り、追いつかれるーー
高度三千メートルに達した時、F6Fと触れ合えるほどの距離で、黒木は立て続けに機銃を撃った。三度の攻撃で、ついにF6Fの胴体から黒煙が上がった。
傾いた「性悪女 」は酔っ払いがダンスをするように、不恰好に回りながら地上へ墜ちていった。
上方へ抜けた飛燕は背面位で旋回に移る。黒木は風防ガラスごしに、素早く戦況を把握する。
現時点で墜とされた飛燕はない。予想外に善戦している。だが、それもいつまで続くか分からない。そして敵はといえば、一機撃墜されてひるむどころか、闘争心にガソリンを注がれたようだ。上から二機、左から二機のF6Fが猛烈な勢いで黒木の方へ迫ってきた。
「――…上等!」
黒木は唇をゆがませた。電流がかけぬけたように、皮膚の表面がひりつく。生死をかけた勝負でしか味わうことのない興奮が、身体の内側を凶暴に満たしていく。
黒木は背面位から再び急降下を試みた。ほとんど垂直に落下していく飛燕を、F6Fたちが追う。計器盤に埋め込まれた高度計の針が、恐ろしい勢いで左へ動く。
三千……二千……千……−–−
あと半秒遅ければ地面に激突するという瞬間、黒木は渾身の力で操縦桿を引いた。
悪霊の叫びにも似た音とともに、機体が軋みを上げる。地上すれすれの高度で、飛燕はやっと重力の手から解放され、水平飛行にうつった。
上空には、先ほどのF6Fたちが飛んでいる。黒木よりずっと早く操縦桿を戻した彼らは千メートルほどの高さにいた。その最後尾にいる機体に、黒木は狙いを定めると、スロットル全開で急上昇した。
相手の死角から突き上げるように距離をつめる。最初の射撃を浴びて、相手がようやく気づいて回避行動に出た。だが、黒木はぴったり背後につく。
そのまま、さらに攻撃しようとした時だ。
黒木の視界の隅に、黒煙を上げて墜ちていく飛燕の姿が映った。
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