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第15章⑱
たぎっていた興奮は冷水を浴びせられたように、一瞬で沈静化した。さらにもう一機、先の飛燕を追うように火だるまになった機体が、煙を吐きながら墜落していく。
撃墜された二機の飛燕は、らいちょう隊の隊長機とその僚機であった。
無線でそれが判明した時、黒木はすでに追っていたF6Fへの攻撃を中止している。そのかわりに、先刻とは別の敵小隊に狙われていた。
背後に張りつこうとする四機をかわしながら、黒木は無線に向かって声を張り上げた。
「こちら、はなどり隊の黒木だ。『らいちょう隊』の生き残り! これ以上、死人を増やしたくなけりゃ、今をもって俺の指示に従え! 分かったな!」
指示を飛ばす間にも、風防をかすめるように機銃の閃光弾が飛び去っていく。
左右と背後を見て、黒木は舌打ちした。追いかけてくる敵機の数が、倍になっている。後ろに四機。左右にそれぞれ二機。
らいちょう隊の隊長機と僚機を墜としたF6Fたちが、次の標的に黒木を選んだのだ。
黒木は素早く計算した。敵は三十機の内、八機がここにいる。一方、味方は今、黒木を除けば十八機。数の上でわずかに劣るが差は大きくない。
「ーー各自、無理な戦いはするな! 持久戦に持ち込め。そうすりゃ、敵はいずれ燃料切れで勝手に逃げ出す」
一般論として、事前に察知されない限りにおいて、航空戦は攻めてくる側が有利だ。どこをいつ攻めるかを決め、主導権を握るのは大抵、攻撃側だからだ。だが、迎撃する側にも有利な点はある。燃料切れの心配がほぼないことだ。たとえ、そうなってもどこかの飛行場へ着陸すれば事足りる。それに対して、攻めて来る側はどうしても帰路の燃料を念頭に置いて、任務を遂行しなければならない。
とりわけ、戦闘機同士の空中戦は、通常の巡航をはるかに上回る勢いで燃料を消費する。時間が経過すればするほど、攻めて来る側は心理的余裕をなくす。敵はらいちょう隊とまず戦い、その後、合流してきた黒木たちとの戦闘に入った。時間を考えれば、もうそれほど余裕はないはずだ。
ーーここが正念場だ。
黒木は足のペダルを巧みに踏みかえて、敵を振り切りにかかる。F6Fの一群は逃がさじと追撃してくる。なんとしても、この飛燕をここで葬り去るのだという気迫が、その動きからひしひしと伝わってきた。このままでは四方どころか八方を囲まれ、逃げ場を失う。
そんな時、黒木の目が四機かたまって飛ぶ味方の飛燕たちをとらえた。ただし、高度は千メートルほど高く、おまけに敵に追い回されている。
それでも黒木は酸素マスクの下で笑みをひらめかせた。
逃げ回るその航跡から、誰が率いているかすぐ看破できた。
「――笠倉!」
黒木は無線で呼びかけた。
「逃げるのがてめえの十八番 だとしても、いいかげん飽きてきただろう。鼻先に敵を引きずり上げてやるから、思い切りケツを蹴飛ばせ!!」
言い終えるや、黒木は操縦桿を引いた。飛燕がうなりを上げて、ほぼ垂直に急上昇を始める。
――笠倉は、逃げることにかけてはピカイチだ。
敵の動きを数歩先まで読み、瞬時に攻撃が当たらない位置を占める。はた目には、のらりくらりと動いているようにしか見えないかもしれないが、すさまじい空間認識能力と頭の回転、野生動物並みの勘、なにより熟練の操縦技術がなければできない技だ。
だからこそーー数秒先にどの辺りを飛んでいるか、黒木は予測することができた。敵が絶対に来られない空間に決まっている。
そして、笠倉は上官の期待に完璧に応えた。
同高度に上がってきた黒木が、旋回飛行にうつる。その後を追うF6Fたちは、移動してきた笠倉から、二百メートルも離れていないところへ現れた。それも尾翼をこちらに向けて。撃ち落としてくれ、と言っているようなものだった。
笠倉は小隊四機を二手に分かれさせ、それぞれF6Fに狙いを定めた。ほぼゼロ距離からまず笠倉と東が集中砲火を浴びせる。それで一機が炎を上げる。続けて、竹内と根津がうまいぐあいに風防ガラスを撃ち抜いて、中のパイロットに致命傷を与えた。
しかし、その間に黒木の方にも危機が迫っていた。追いかけてきた敵の内、いちばん操縦が巧みなF6Fが、後方百メートルほどのところまで迫ってきた。振り切るには、急降下か急上昇かどちらかしかない。下方に敵の姿を見た黒木は、急上昇する以外になかった。
その数秒後のことだった。
最初の異変が、耳に現れた。飛燕の液冷エンジンの轟音が、不意に遠ざかる。不審に思った直後、黒木の視界が突然、灰色になり、それから闇夜に放り込まれたように何も見えなくなった。
――……一体、なんだ!?
今日初めて、黒木はパニックに近い感情を引き起こした。
頭の冷静な一部が、他人事のように答えを教えた。
――バカが。お前は急上昇をやりすぎた。頭に血が回らなくなったんだ。
航空機の搭乗員が最も恐れる「ブラックアウト」の状態に陥っていた。
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