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第15章㉓

 浜松飛行場は午前中に二度、艦載機の襲来にさらされていた。  にもかかわらず、時計の針が正午を回った時点で、整備班の千葉登志男軍曹は空襲警報を無視することに決めた。なにぶん、米軍の機動部隊の第一波が来襲して以来、ひっきりなしにサイレンが鳴り響いている。警報が出るたびに防空壕に避難していたら、とてもではないが機体の整備などできなかった。  危険は承知の上だ。軍事施設である飛行場が、標的にされやすいのは子どもでも理解できる。現に上空に現れた戦闘機は、敷地内の建物と滑走路に百発以上の十二.七ミリ弾を撃ち込んで去っていった。死者こそまだ出ていないが、あちこちで窓ガラスが割れ、怪我人が続出していた。 「――千葉軍曹どの!!」  自分を呼ぶ声に、千葉はしばらく気づかなかった。千葉は、浜松飛行場にに緊急着陸した一式戦闘機「隼」の下にもぐりこんでいた。搭乗員の話では、主脚が出たまま格納できなくなり、戦闘を断念したという。千葉は油圧系統の故障と判断し、急いで確認と修理を始めた。サイレンが鳴り出した後も、部下たちだけ先に退避させ、戦闘機を入れた格納庫で作業を続けていた。 「軍曹どの…千葉さん!!」  複数回にわたる呼びかけで、やっと千葉は気づいた。煤で汚れた顔を翼の下からつきだすと、そこに別の機体を担当しているはずの中山がいた。実年齢より幼く見える中山の顔は、千葉と同じくらい汚れている。そこに、せっぱつまった表情が浮かんでいた。 「さすがに逃げないと、まずいです! 米軍機が見えるところまで来ています!!」 「あと少しで終わりそうなんだ!」  千葉はそれだけ言って、再びひょろりとした身体を翼の下へもぐりこませる。 「中山、お前は先に防空壕へ行ってろ。終わったら、俺もすぐに行くから」  千葉は工具を取ろうと手を伸ばす。すると、かがんだ中山が手渡してくれた。  一瞬、気を揉む中山の顔が見えたが、千葉は何も言わない。  それより一秒でも早く、必要なナットを締めた方がいい。 「…よし。できた!」  隼の下からはい出てきた千葉に、中山は腕を大きく振る。 「急いでください! もう、飛行場の上まで来ています」  言われるまでもなかった。格納庫の窓の外を、これ見よがしに数機の米軍機が横切って飛んでいく。これほど低空を飛んで平然としているのは、飛行場からの反撃がほとんどないとわかっているからだろう。  格納庫内には千葉や中山を含め、まだ数人の整備兵が残っていた。  だが、いずれも作業中止を決めて、格納庫の出入り口へ向かっていた。彼らにならって退避しようとした矢先、頭上でバリバリと音がした。千葉はぎくりとする。屋根を突き破って、機銃の弾が霰のように飛び込んでくる。  とっさに両腕で頭をかばい、千葉はその場にうずくまった。 「中山! ここにいた方がいい。今は外の方が危ない!」  屋外には身を隠す場所がない。上空から丸見えで、機銃掃射を受けたら逃げようがなかった。  千葉の指示に、中山は素直に従った。正直、恐ろしくて仕方ないが、先輩格の千葉がそばにいてくれる分、少しはましだった。  中山は小さな身体を、限界まで縮め、早く米軍機が去ってくれることを願った。  その直後だった。ドオンという重鈍な音が格納庫に響きわたった。先ほどの機銃の比ではなく、地面さえ少し揺れた。千葉と中山は反射的に、音がした方角を見た。 「…ジャ()ァダ()()!」  中山の口から、中国語の叫びが上がる。千葉は声さえ出なかった。  屋根を突き破って落ちてきた時限信管付きの二百五十キロ爆弾が、整備中の戦闘機の操縦席に突き刺さっていた。  そのあと、千葉の記憶は断片的にしか残っていない。整備兵たちが、血相を変えて逃げていく。千葉は間に合わないと観念して、両耳をふさいでその場に伏せた。数メートル先で、中山がはって逃げようとしている。「伏せろ!」と叫びかけた瞬間、凄まじい衝撃と轟音、熱風が千葉に襲いかかった。  …おそらく何十秒か、確実に気を失っていた。  意識を取り戻した時、千葉は自分が生きていることが信じられなかった。顔を上げると、炎と煙が渾然一体となって、建物のあちこちをなめ回している。爆弾の直上にあった屋根は、大きな穴があき、そこから黒煙がもうもうと外へふき出ていた。  弾薬や燃料に引火したら、いつまた爆発が起きるか分からない。  煙を吸い込まぬよう、千葉はうつ伏せのまま逃げ道を探した。格納庫の出口が、かろうじて見える。そこを目指して少し進んだところで、煙の中に人の足が見えた。 「おい、生きているか…?」  咳き込みながら千葉は声をかけ、途中で息をのんだ。  靴とズボンを履いたままの両足は腰につながっていたが、その先にあるべき胴体がなかった。  暗いピンク色で、てらてらと光る内臓を目にした直後、千葉はこらえきれず、その場に胃液を吐いた。涙目であえぐ。 「…中山? いや、違うよな。どこだ、中山……!」

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