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第15章㉔

 千葉が探す童顔の整備兵は生きていた。少なくとも、この時点では。  身体を低くしてうずくまっていたのが幸いし、中山は爆弾の火炎と熱をまともに食らわずに済んだ。ただ爆風で吹き飛ばされて、一気に格納庫の外まで放り出されていた。  あおむけになった状態で、中山は意識を取り戻した。 ーーツェンマラ(どうしたんだっけ)?   今いる場所が日本ではなく、故郷の台湾だと思い違いをしたのは、火災による熱のせいだ。  寒さを感じない。「中山春雄」が一時的に消えて、台湾人の孫日登(スンリードン)がむき出しになる。  どんよりした両目に、こちらに向かって飛んでくる何羽もの鳥が映る。大きい。だが、シギの類にしてもずいぶん、ずんぐりしている……。  それが野鳥などではなく、米軍のF6Fだと気づいて、中山は顔を引きつらせた。  隠れないと。逃げないと。けれども両足がうまく動いてくれない。  わずかに動かしただけで、左腕に激痛が走った。 「ジオウミン(た す け て)…!!」  見たくもないが、目を背けることもできなかった。  F6Fたちが、地上をのたうち回る哀れな整備兵を見つけた。  そのうちの一機が、ネズミを見つけたトビのように、上空から迫ってくる。  F6Fは気づいていない。けれども、中山には見えた。  F6Fのさらに上から、急降下爆撃機のような勢いで、銀色のツバメが突っ込んできた。  背後へついた飛燕は、水平飛行に移ると、超低空で飛ぶF6Fめがけて機銃を掃射した。  通常の空戦ではまずない水平の火線を描いて、十二.七ミリ弾が命中する。ようやく気づいたF6Fが急上昇に移る。その後を、キーンという液冷エンジン特有の音を残して、飛燕が追いすがっていく。  その一部始終を中山は呆けたように見ていた。  目に涙が滲んできた。  尾翼の機体番号を確認するまでもない。見間違えるわけがなかった。  あれは、中山が昨日の夜から整備を続け、今朝、まさにこの浜松飛行場から送り出した飛燕。  心に秘めて慕う相手が操縦する戦闘機だった。 「金本曹長……!」  泣きながら、中山はつぶやいた。 「よかった。無事だった……よかった……」  そのまま、中山は再び気を失って動かなくなった。  黒木を筆頭に、はなどり隊の搭乗員とらいちょう隊の生き残りたちは、アメリカ海軍のF6Fを追って浜松上空まで移動し、そこで死力を尽くして戦った。総合的な数は劣ってはいたが、士気は高く、指揮は巧みだ。F6Fたちは幾度となく飛行場への攻撃を試みたが、その度に邪魔が入り、ついに目的を達することができなかった。  そして午後三時半過ぎ。日本上空で戦う全ての艦載機に対して、撤退の命令が下った。荒れ狂っていた海の潮が引くように、アメリカの戦闘機は退いていった。  黒木たちはそれでも、日没寸前まで上空で警戒を続けた。やっと敵が本当にいなくなったことを確認し、ようやく眼下の飛行場へ順次、着陸していった。  全員、ボロ雑巾もかくやという状態であった。体力にめぐまれた金本や黒木も例外ではない。  とにかく生き残ったーーその安堵から、積もりに積もった疲労が一気に表に出てきた。 「――はなどり隊。それかららいちょう隊。はなどり隊のピスト前に、集合しろ。ただし、今日だけは急がなくても許す。ゆっくり来い。以上だ」  黒木は無線を切ると同時に酸素マスクを外し、ついでに飛行眼鏡も取った。  操縦席に背中をあずける。目を閉じると、そのまま睡魔に負けそうになる。  幸い眠り込む前に、開けた風防から声が降ってきた。 「ご無事でなによりです。搭乗機、途中で変えられたんですね」  温和な口調。黒木は目を開けずとも、千葉だとわかった。 「ああ、変えた。訳あって、調布に残してきた」 「なるほど。また壊しましたか」 「壊してない。少々、多めに弾を食らっただけだ。人間で言やあ、ちょっと火傷した程度だ。明日にでも、取りに行って……って、おい。顔と手、どうした?」  目を開けた黒木は、やっと自分の機付整備班長の異変に気づいた。千葉の顔は側頭部から頬にかけて擦り傷ができ、手の甲は赤く腫れていた。 「少々、火傷しただけですよ。十分、冷やしたので大丈夫です」  軽く言う相手に、黒木は舌打ちで応じる。 「早く軍医に診てもらえ」 「順番待ちです」 「……」 「俺より優先すべき怪我人が何人も出たので。降りるなら、手伝いますよ」 「いらん」黒木は即、拒絶した。  怪我をした人間の手を借りねばならないほど、落ちぶれてはいない。  落下傘を外して降りてきた黒木に、千葉は格納庫で起こった惨劇を淡々と語った。  F6Fたちが落としていった爆弾で整備兵二人が即死し、千葉を含む五人が重軽傷を負った。  幸い、千葉は軽傷で済んだ。けれども、そばにいた中山の怪我は軽くなかった。火傷に加え、爆風で吹き飛ばされて地面に叩きつけられた時に、左腕の骨が折れた。頭にも裂傷を負った。片方の鼓膜も破れたらしく、千葉たちが担架で運んでいるあいだ、「耳の右側が聞こえない」としきりに訴えていた。  千葉が話していると、金本がやって来た。暗い顔つきで、黒木はすぐに察しがついた。  金本が口を開くより先に、黒木は言った。 「整備の中山が負傷したらしいな。集合に遅れても構わない。先に様子を見に行ってやれ」 「…感謝します」  金本は敬礼し、そのまま走り去っていった。  その背中が夕闇に消えた後、黒木は独り言のようにつぶやいた。 「上でも大勢、死んだ」 「……すでに聞いています」 「根津を死なせた。らいちょうの連中は、一時間足らずの間に、八人もやられた」  黒木の声は乾いている。怒ったり、憤慨する気力すら、今は残っていない。  途方もなく、疲れていた。 「……明日はまた何人、死ぬんだろうな」  千葉は慰めの言葉もなく、ただ黒木を見つめるほかなかった。

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