294 / 370
第15章㉔
千葉が探す童顔の整備兵は生きていた。少なくとも、この時点では。
身体を低くしてうずくまっていたのが幸いし、中山は爆弾の火炎と熱をまともに食らわずに済んだ。ただ爆風で吹き飛ばされて、一気に格納庫の外まで放り出されていた。
あおむけになった状態で、中山は意識を取り戻した。
ーーツェンマラ ?
今いる場所が日本ではなく、故郷の台湾だと思い違いをしたのは、火災による熱のせいだ。
寒さを感じない。「中山春雄」が一時的に消えて、台湾人の孫日登 がむき出しになる。
どんよりした両目に、こちらに向かって飛んでくる何羽もの鳥が映る。大きい。だが、シギの類にしてもずいぶん、ずんぐりしている……。
それが野鳥などではなく、米軍のF6Fだと気づいて、中山は顔を引きつらせた。
隠れないと。逃げないと。けれども両足がうまく動いてくれない。
わずかに動かしただけで、左腕に激痛が走った。
「ジオウミン …!!」
見たくもないが、目を背けることもできなかった。
F6Fたちが、地上をのたうち回る哀れな整備兵を見つけた。
そのうちの一機が、ネズミを見つけたトビのように、上空から迫ってくる。
F6Fは気づいていない。けれども、中山には見えた。
F6Fのさらに上から、急降下爆撃機のような勢いで、銀色のツバメが突っ込んできた。
背後へついた飛燕は、水平飛行に移ると、超低空で飛ぶF6Fめがけて機銃を掃射した。
通常の空戦ではまずない水平の火線を描いて、十二.七ミリ弾が命中する。ようやく気づいたF6Fが急上昇に移る。その後を、キーンという液冷エンジン特有の音を残して、飛燕が追いすがっていく。
その一部始終を中山は呆けたように見ていた。
目に涙が滲んできた。
尾翼の機体番号を確認するまでもない。見間違えるわけがなかった。
あれは、中山が昨日の夜から整備を続け、今朝、まさにこの浜松飛行場から送り出した飛燕。
心に秘めて慕う相手が操縦する戦闘機だった。
「金本曹長……!」
泣きながら、中山はつぶやいた。
「よかった。無事だった……よかった……」
そのまま、中山は再び気を失って動かなくなった。
黒木を筆頭に、はなどり隊の搭乗員とらいちょう隊の生き残りたちは、アメリカ海軍のF6Fを追って浜松上空まで移動し、そこで死力を尽くして戦った。総合的な数は劣ってはいたが、士気は高く、指揮は巧みだ。F6Fたちは幾度となく飛行場への攻撃を試みたが、その度に邪魔が入り、ついに目的を達することができなかった。
そして午後三時半過ぎ。日本上空で戦う全ての艦載機に対して、撤退の命令が下った。荒れ狂っていた海の潮が引くように、アメリカの戦闘機は退いていった。
黒木たちはそれでも、日没寸前まで上空で警戒を続けた。やっと敵が本当にいなくなったことを確認し、ようやく眼下の飛行場へ順次、着陸していった。
全員、ボロ雑巾もかくやという状態であった。体力にめぐまれた金本や黒木も例外ではない。
とにかく生き残ったーーその安堵から、積もりに積もった疲労が一気に表に出てきた。
「――はなどり隊。それかららいちょう隊。はなどり隊のピスト前に、集合しろ。ただし、今日だけは急がなくても許す。ゆっくり来い。以上だ」
黒木は無線を切ると同時に酸素マスクを外し、ついでに飛行眼鏡も取った。
操縦席に背中をあずける。目を閉じると、そのまま睡魔に負けそうになる。
幸い眠り込む前に、開けた風防から声が降ってきた。
「ご無事でなによりです。搭乗機、途中で変えられたんですね」
温和な口調。黒木は目を開けずとも、千葉だとわかった。
「ああ、変えた。訳あって、調布に残してきた」
「なるほど。また壊しましたか」
「壊してない。少々、多めに弾を食らっただけだ。人間で言やあ、ちょっと火傷した程度だ。明日にでも、取りに行って……って、おい。顔と手、どうした?」
目を開けた黒木は、やっと自分の機付整備班長の異変に気づいた。千葉の顔は側頭部から頬にかけて擦り傷ができ、手の甲は赤く腫れていた。
「少々、火傷しただけですよ。十分、冷やしたので大丈夫です」
軽く言う相手に、黒木は舌打ちで応じる。
「早く軍医に診てもらえ」
「順番待ちです」
「……」
「俺より優先すべき怪我人が何人も出たので。降りるなら、手伝いますよ」
「いらん」黒木は即、拒絶した。
怪我をした人間の手を借りねばならないほど、落ちぶれてはいない。
落下傘を外して降りてきた黒木に、千葉は格納庫で起こった惨劇を淡々と語った。
F6Fたちが落としていった爆弾で整備兵二人が即死し、千葉を含む五人が重軽傷を負った。
幸い、千葉は軽傷で済んだ。けれども、そばにいた中山の怪我は軽くなかった。火傷に加え、爆風で吹き飛ばされて地面に叩きつけられた時に、左腕の骨が折れた。頭にも裂傷を負った。片方の鼓膜も破れたらしく、千葉たちが担架で運んでいるあいだ、「耳の右側が聞こえない」としきりに訴えていた。
千葉が話していると、金本がやって来た。暗い顔つきで、黒木はすぐに察しがついた。
金本が口を開くより先に、黒木は言った。
「整備の中山が負傷したらしいな。集合に遅れても構わない。先に様子を見に行ってやれ」
「…感謝します」
金本は敬礼し、そのまま走り去っていった。
その背中が夕闇に消えた後、黒木は独り言のようにつぶやいた。
「上でも大勢、死んだ」
「……すでに聞いています」
「根津を死なせた。らいちょうの連中は、一時間足らずの間に、八人もやられた」
黒木の声は乾いている。怒ったり、憤慨する気力すら、今は残っていない。
途方もなく、疲れていた。
「……明日はまた何人、死ぬんだろうな」
千葉は慰めの言葉もなく、ただ黒木を見つめるほかなかった。
ともだちにシェアしよう!