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第15章㉖
金本が防空壕に設けられた救護所にたどり着いた時、中山は地面に敷かれたゴザの上で眠っていた。あまりに痛がるので、軍医がモルヒネを打ったのだ。命に別状はないと聞かされて、金本はひとまず胸をなでおろす。病院のベッドも確保でき、中山はまもなくそちらに移るとのことだった。
軍医から聞いた病院の名前を、金本は手帳に記す。時間ができたら、見舞うつもりだった。
手帳をしまいかけた金本は、そこで短い書きつけを残しておくことを思いついた。
ーー俺は無事だ。今はゆっくり、休んでくれ。怪我が、一日も早く治ることを願っているーー
破った紙を中山の手に握らせ、金本は防空壕を後にした。
はなどり隊のピストへ戻ると、搭乗員たちが三々五々、戻ってきていた。
だが、その中に黒木の姿はない。聞けば、ここに戻ってすぐに戦隊長に呼び出されたという。
いつ解放されるか分からなかったので、金本は外で待機する搭乗員たちに、ピストの中に入るよう促した。こういうことは、普段なら今村がやることだ。だが、副隊長は負傷して、今頃は調布飛行場から遠くない病院の中だろう。空いた穴は、余力のある人間によって、埋められなければなるまい。
金本の提案に従い、はなどり隊の面々が動き出す。その流れに逆らうように、その場にとどまる者たちがいた。らいちょう隊の生き残りたちだ。金本はピストの壁に寄りかかる蓮田少尉に声をかけた。
「入ったらどうですか。外は寒いでしょう」
「別に気にならん」
「おつかれでは?」
「いらぬ心配だ」
蓮田は言い捨て、そっぽを向いた。「とりつく島もない」という日本語を、地でいっている。
もし以前の金本なら、このあたりで会話を切り上げて放っておいただろう。けれども、この半年間の経験が、少しずつではあるが彼を変えていた。以前に比べれば、第三者と接することが、苦にならなくなっていた。
金本は蓮田の向こう側にいる搭乗員たちに、注意を向けさせた。
「少尉どのは平気だとしても。他の者はそうとも限らないでしょう。中に入って、暖を取ってください」
こういう言い方をされると、さすがに蓮田も反論できないようだった。数秒、沈黙した後、少尉は彼が面倒を見るべき男たちと共に、ピストに入っていった。
そこからさらに二十分ほどして、笠倉と東が姿を現した。どうやら、二人はまた言い合いでもしたようだ。前を歩く東は頬を赤くして、笠倉のことなど眼中に入れたくもない、という様子で金本の前を横切っていく。後から入って来た笠倉は、だるまストーブの前に大儀そうに陣取った。ちょうど近くにいた金本にタバコをねだって来たので、金本は持っていた一本を渡してやった。
黒木がピストに戻って来たのは、その直後のことだった。
立ち上がって敬礼しようとする搭乗員たちを制し、はなどり隊の隊長は言った。
「全員、座ったままでいい。顔だけ、こちらに向けて聞け」
金本も含め、誰もがその言葉にありがたく従った。この場にいる人間はそろいもそろって、精魂が尽きかけているか、すでに尽きているかの、どちらかだった。
「今日は本当にご苦労だった。全員、よく戦ってくれた」
黒木は一同を見渡し、ねぎらいの言葉をかける。だが、その端麗な顔に笑みはない。
「ーー薄々、勘づいているやつもいるだろうが、犠牲も少なくなかった。先ほど、師団本部から最新情報を聞いた。師団全体で、すでに三十名以上の散華が確実になっている。正確な人数が判明するのには、まだ時間がかかるだろうが……」
黒木の言葉を聞く内に、重苦しい空気がピストの中に音もなく広がった。
金本たちが所属する飛行戦隊は、さらに上位にある飛行師団に属す。帝都防空を担い、全体の航空兵力は四百機弱を数える。
それが今日一日だけで、一割近く失われた計算だ。今村のような負傷者はそこに含まれていない。となると、明日以降、飛行が可能な戦闘機の数はさらに減る。
どっちを向いても楽天的になり得ない状況だった。
しかしーー。
「−−ここから肝心な話だ。今日の戦闘の結果を鑑みて、防衛総司令部が一つの決定を下した」
続く黒木の台詞は、誰にとっても予期せぬものだった。
「『はなどり』、『らいちょう』、『べにひわ』ーー我が戦隊の三つの飛行隊全てが、明日午前零時を以って、第六航空軍の指揮下に入る。今後しばらくは兵力温存をはかり、小型機の来襲においてこれを邀撃せず、ただB29のような大型爆撃機が来た時のみ、迎撃するとのことだ」
黒木が言い終えた後、最初に反応したのは蓮田周作少尉だった。
蓮田たち、らいちょう隊の搭乗員はピストの入り口近くに陣取っていた。そのため、皮肉にも黒木と一番近い距離にいた。
「邀撃しない? 敵の戦闘機が我が物顔で日本の空を飛び回っている間、指をくわえて見ていろと言うんですか!?」
激した少尉の顔が朱色に染まる。鼻からアゴにかけてある傷跡だけが、白く浮かび上がった。
「司令部の決定だ」
蓮田の反論を、黒木は冷たく切り捨てる。
「それから。我が戦隊は明日早朝、栃木県にある西那須野飛行場へ移動する。明日に備えて全員、身体を休めるようにーー以上だ」
蓮田はかろうじて礼儀を守った。だが、黒木が「解散」を告げた後、そのまま鉄砲玉のようにピストを飛び出していった。その後を、らいちょう隊の面々があわてて追いかけていく。黒木もまた、戦隊長からの呼び出しを受け、休む間もなく再び戦隊本部へ足を運んでいった。
隊長がいなくなった後、だるまストーブの前に座っていた笠倉が、誰ともなしに言った。
「…蓮田少尉の気持ちは、分からなくもないがーー正直、俺はホッとしたな。今日みたいな戦いを明日、またやれと言われたら、とてもじゃないができそうもない」
金本も口にこそ出さなかったが、笠倉の言葉に賛成だった。
はなどり、らいちょう、べにひわ−−戦隊に属す三つの飛行隊から、今日だけで十名の死者を出した。回復のための時間は、確かに必要だった。
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