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第15章㉘
事がすんだ後、冷静さを取り戻した金本は、すぐに後悔の念にかられた。身なりを整えるのももどかしく、黒木の腕をつかんで立たせる。そのまま、水道の蛇口まで引きずっていった。
「――ああ、スッキリした。やっぱり、飲んでうまいもんじゃないな」
口を何度かゆすぎ、黒木は金本に軽口をたたいた。
「お前もスッキリしたか? 上じゃなくて下の方」
「……お前にも、してやろうか」
金本は言った。決して乗り気ではない。だが、黒木にだけさせて、自分がしないのは不平等な気がしてならない。
幸か不幸か、黒木はあっさり「いや、いい」と、金本の申し出を断った。
「そのかわり。もうちょっと、おしゃべりにつき合え」
水道から少し離れた所に、二人は腰を下ろした。金本の両足の間に、黒木が座って背中を恋人の方に預けている。その姿勢で、金本は黒木の腰に両腕をゆるく回してやった。
黒木の前置きは珍しく長かった。
「ーーさっきまで、東京にいる上層部の連中があれこれ決めて連絡してくるのを、戦隊長と一緒になって、逐一、聞かされてたんだが…」
金本は相づちを打つだけで、辛抱強く話の続きを待った。
「その途中で、お偉いさんと直接電話で話もした。びっくりしたぜ。いったい、誰だったと思う?」
「いや、分かるわけないだろう」
「当てずっぽうでいいから、言ってみろよ」
「…第十飛行師団の参謀とか?」
「いーや。はずれだ。なんと、第六航空軍の司令官閣下、高島実巳中将だった」
聞いた金本は驚いた。だが、それは黒木が思っていたのとは、全く別の理由からだ。
「高島中将どのと話をしたのか? というより、第六航空軍の司令官って、あの方なのか」
「あ? なんだ、知っている人間か」
「俺が少年飛行学校の生徒だった時、校長をつとめていた方だ。ものすごく世話になって…返せないくらいの恩義がある」
黒木が首を巡らせ、物問いたげに金本を見上げる。
金本は話すべきか迷った。正直、少年飛行学校の卒業間際に起こったあの一件は、金本の中でまだ大きな影を落としている。以前、黒木がその話題を持ち出した時、金本は激昂して相手の首を絞めた。
けれども今なら。少しなら、話をしてもいいのではないか。
少しだけなら、黒木にさらしてもいいと、金本は思った。
「――昔、兄の起こしたことで、俺は憲兵に引っぱられ、何日も監禁されて尋問を受けた。高島中将が手を尽くして、そこから救い出してくれたと、教育班の班長だった士官から聞かされた。中将どのの働きかけがなかったら……俺はおそらく、無事でいられなかったと思う」
「そうだったのか」
黒木は、得心がいった顔でうなずく。ありがたいことにそれ以上、詮索するつもりはないようで、深く聞いてくることはなかった。
「高島中将どのと、何を話したんだ?」金本が尋ねると、
「あー、それなんだが…」黒木は言いよどんだ。
――本当にどうしたんだ?
金本は心配になってきた。こうなると先刻の行為でさえ、何となく黒木らしからぬもののように思えてくる。
「なんだ。難題でも持ちかけられたのか」
「…まあ、難題だな」
黒木は金本の手に、自分の手を重ねた。
「今まで、俺たちの戦隊に属す『はなどり』『らいちょう』『べにひわ』の各隊は、戦闘時にそれぞれの飛行隊長が指揮を取っていて、三つ全部を統轄する人間がいなかっただろう。戦隊長は地上で指示は出すが…」
黒木の話に耳をかたむけながら、金本は今日の戦闘を思い起こす。
らいちょう隊を救援しようとした際に起こった予期せぬ衝突。黒木ともう一人、階級が同じ二人の指揮官が同じ戦場に並び立った結果、連携が取れずに、結果として何人もの搭乗員が失われた。
「まさか、らいちょう隊の救出に失敗したことを、とがめられたのか?」
「…高島中将にその件を持ち出された時、俺もおとがめがあると覚悟していた。だけど、それはなかった。ただ、さっき言ったように空戦時に、三つの飛行中隊ににらみを効かせて、指揮する人間がいないことは問題視された。それで、中将閣下が俺に言ったんだ−−」
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