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第15章㉙
「――黒木大尉。空戦時における『はなどり』『らいちょう』『べにひわ』の総指揮を、私は貴官に委ねたいと考えている。どうだろうか」
電話ごしに高島にそう打診された時、さすがの黒木も即座に返答できなかった。
受話器を手にした黒木の隣では、戦隊長がハラハラした様子でやりとりを見守っている。黒木がよからぬことを口にしようものなら、即フックを押して通話を切るつもりだった。黒木の反抗的言動が中将閣下の耳によごすくらいなら、電話が予期せぬ事故で切れる方が、まだマシであった。
黒木はそんな上官の態度をうとましく思いながら、電話の向こうにいる相手に尋ねた。
「今の話ですが。うちの戦隊長には…」
「すでに了承を得ている」
「さようで」
黒木は考えを巡らせた。高島の答えからもうかがえることだが、この措置は絶対に戦隊長から出たものではあり得ない。また、師団の他の人間が提案するはずもなかった。
「…無礼を承知の上で、質問をお許しいただけますか」
「ふむ。何かね」
「なぜ、おーー」
「俺を」と言いかけて、さすがにまずいと思って言い直す。
「ーー小官を選ばれたのか。理由をお聞かせいただけますか」
「ああ……まあ、消去法だな。三人いる飛行隊長の内、残念ながら一人は今日、戦死した。残る二人の内、一人は近日中に別の隊への転出が決まっている。となると、残るは…」
「小官というわけですか」
「そういうことだーーと、いうのは、あくまでも表向きの方便だが」
それを聞いて、黒木はとまどう。電話口から聞こえる高島の声が、心持ち小さくなる。
「貴官をそのような重要な立場につけることに、いい顔をしない者がチラホラいるのでね」
「……おそらく、今、窓の外に見える星の数くらいはいるでしょうね」
皮肉まじりの返事に、高島は短い笑い声をもらす。
「そこまでではないな。少なくとも、私が今の地位につく時に反対した人間の数には及ばんよ」
そう言って、高島は口調を改める。
「ーー十二月の会議の時、貴官に興味を抱いた。その後、こちらで色々と調べさせてもらった。人となりや、指揮官としての適性を。その報告内容を見た上で、私は貴官こそ、この仕事に最適な人間だと判断した。黒木栄也大尉」
電話越しの呼びかけに、黒木は思わず背筋を伸ばした。
「もはや能力のある者を、適当な場所で飼い殺しにしておく余裕は我が軍にはない。この任務、引き受けてくれるな」
「――それで、どう返事をしたんだ」
金本の問いに、黒木はため息を吐いた。
「引き受けたよ。中将どの直々の指名だ。もとより、断れるものではないだろう。高島中将のことはよく知らんが、言葉を交わした限りでは、まったくの無能というわけではなさそうだし」
「おい。失礼が過ぎるぞ」
「ああ、そうだな。お前の命の恩人だったな。それなら、余計に期待に応えないとな…」
言いながら、黒木は金本の肩に頭をあずける。
そして、
「でも、キツいな」
とつぶやいた。
「正直、キツい。十二、三人の命を預かって飛ぶのさえ、こたえる時があるのに、いきなり三倍だぜ。キツいというか、こわいよ。俺がひとつ判断を誤ったら、何人も死ぬんだぞ。今日みたいに」
「栄也……」
「…なんてな。泣き言、並べていられる状況でもねぇ。誰かが、やらなきゃならないんだ」
黒木は金本の耳元でささやいた。
「俺にやり遂げられると思うか、蘭洙?」
金本は即答できなかった。黒木の能力を疑ったからではない。
この任務を背負うことで、黒木が今よりさらに、茨の道を進むことになると分かっていたからだ。
身も心も削って、目に見えぬ傷が増えていく。恋人のそんな姿を、見たくはなかった。
まして、その果てに死ぬ可能性など、とてもではないが考えたくなかった。
それでも、金本は黒木をきつく抱きしめて言った。
「――お前以上に、うまくできるやつなんていない」
黒木は決して諦めない。自分に課せられた責務を、放り出したりしない。死の、その瞬間まで戦い続けるだろう。
金本は黒木に生きていて欲しかった。その気持ちは、少しも変わっていない。
けれども、もし運が尽きて黒木が命を落とすことになったならーー。
――その時こそ、俺も死ぬ時だ。
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