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第16章③

 ノックの音に、W将軍は顔を上げた。 「…さて。良い知らせであればいいがーー入れ!」  ドアに顔を向けたクリアウォーターは、そこに現れた者たちを見て少し驚いた。  彼の二人の部下。ジョージ・アキラ・カトウ軍曹と、スティーヴ・サンダース中尉だった。  カトウは指紋の照合結果を受け取るため、そして通訳の役目も兼ねて、キャドウェルの部下と共に警視庁の吉沢刑事の元に行っていた。  しかし、サンダースについては、捜査におけるU機関の役割が決まるまで、ニイガタたちと共に、荻窪で待機するよう命じていた。副官の登場は、クリアウォーターにとっては予想外のことだった。  サンダースとカトウは敬礼すると、ちらりとクリアウォーターの方を見た。どちらから報告すべきか迷っている。察したクリアウォーターは、時間を無駄にすることなく言った。 「カトウ軍曹。指紋の結果は、どうだった?」 「はい。小脇順右が殺害された神社に残されていた指紋が、巣鴨プリズンで採取されたカナモト・イサミのものと一致しました」 「分かった。ごくろうだった」  クリアウォーターはカトウをねぎらい、W将軍の方へ向き直る。 「これで百パーセントの確信が得られました。西多摩、浜松、そして巣鴨で殺人を犯したのは全て同一人物です」 「そのようだな」 「将軍閣下。私のもう一人の部下に、発言させてもよろしいでしょうか」  W将軍がうなずく。クリアウォーターにうながされ、サンダースは真っ直ぐだった背筋を、さらに伸ばして言った。 「――至急、お耳に入れた方がよいと考え、報告に参りました。現在進行中の捜査に関して、重要と思われる情報が見つかりました」  サンダースが差し出したのは、褪せた色の新聞だ。  クリアウォーターはそれに見覚えがあった。 「これに気づいたのは、U機関のマックス・カジロー・ササキ軍曹です。ササキは数日前にクリアウォーター少佐に命じられて、戦中に発行された新聞を調べていました。その中に、金本勇の名前が載る記事があることを、先ほど思い出したんです」  サンダースは断りを入れた上で、テーブルの地図の上に一枚紙の新聞を広げる。  二年前の日付を持つ『やまと新聞』だ。  クリアウォーターは「金本勇」の名をすぐに見つけた。一面の左下あたりに記事はあった。  一読して、赤毛の少佐は呆然となった。  反射的にカトウの方を見る。この場で日本語を理解できる人間は、クリアウォーターを除けばこの日系二世の軍曹しかいない。カトウの顔に浮かぶ表情から、クリアウォーターは自分の理解が間違っていないことを知った。  W将軍が、テーブルの対面からクリアウォーターを()かした。 「我々のために、翻訳してくれないか。少佐。いったい、そこにカナモトの何が書いてある?」  クリアウォーターは深呼吸して、問題の記事を英語に訳した。  聞いた将軍は、思わず手のひらを自分の机に叩きつけた。 「ーーそんなバカなことがあるか!」  その台詞は、執務室にいる全員の心情を代弁していた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  …看守から声をかけられた時、男は妻が差し入れてくれた本を読んでいた。  八月初旬のまだ暑い盛りである。特にこの日は、東京の気温が今夏最高の三十四度を記録する。独房の中で、読書にいそしむ男の額やこめかみにも、汗がつたっていた。胴体も同じだ。汗のせいでむず痒さを増した胸の傷跡を、男は何度もひっかいていた。  二年前、男は拳銃で自ら命を絶とうとした。  万一にも失敗しないように、わざわざ医者に心臓の位置を聞いて、墨で印までつけていた。  にもかかわらず、ピストル自殺は失敗に終わった。  男を連行しに来たアメリカ軍の将兵たちによって医者が呼ばれ、その場で応急処置が施された。そして不本意ながら、男は一命をとりとめた。  その後、傷の回復を待って、入院先から大森収容所、そして東京拘置所だったこの巣鴨プリズンへと移った。  自分が遠くない未来に処刑されることを、男はすでに受け入れている。昨年から始まり、現在も続く連合国による裁判は、処刑場へ続く道を見栄えよく舗装するための手続きに過ぎない。  かつて日本を戦争に導いた指導者たちを処刑するのは、復讐心にもとづく報復ではない。  それは人類による正義の発露である、とーー。  呼び出された囚人の男は、二人の看守に両脇を固められ、階段を降りる。  男は、英語を解さない。だからか、彼らは何も説明することなく、無言で男を連れて歩いていく。 ―― 一体、何が起こる?  男はここに来て、少しだけ好奇心が湧いた。  到着したのは、見覚えのある部屋だった。昨年の冬から今年の春にかけて、男は二日と空けずに、ここに連れてこられた。  そして、幾人ものアメリカ人に囲まれて、先の戦争の様々な局面を、微に細をうがって尋問された。その結果は、裁判に使う報告書としてまとめられ、すでに国際検察局に提出されている。  しかし今日、部屋で待っていたのは、たった二人だけだった。  以前、男を尋問した国際検察局(IPS)の尋問官ではない。アメリカ人としても珍しい赤毛の陸軍少佐。そして、日系二世の陸軍准尉だった。  看守によって、男は机の前に座らされた。その対面に、少佐と准尉が陣取る。  彼らを眺め、「若いな」と男は思った。二人とも若い。  准尉はせいぜい二十代なかばか、後半。それより少し年上とみえる少佐も、三十歳を少し越えたくらいだ。二人合わせても、男の生きた年月に満たないだろう。  少佐はその緑色の目を男へ向け、しばし無言を保った。  初老の男も口を閉じたまま、見返す。  緊張をはらんだ数秒の後、少佐はダニエル・クリアウォーターと名乗った。さらに、通訳の日系人をアイダ准尉だと紹介する。  おそらく、囚人の男が自分の名を告げる必要はなかっただろう。  それでも、初対面の相手が示した礼儀に応える形で言った。 「東條英機(とうじょうひでき)です」と。

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