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第16章⑤
「…現時点で、考えられる可能性は二つだ」
言いながら、赤毛の少佐は色褪せた新聞を指さす。
「まず、この記事にある通り、金本勇が二年前に戦死している。その場合、第三者が金本の名を騙って、殺人を犯したことになる。そして、もう一つの可能性はーー」
クリアウォーターは絶妙な間を置いて言った。
「記事が嘘っぱちで、実は金本が生きている。そして、自分を苦境に追いやった人間たちに対して、復讐を実行している」
しんと、静寂が三人の間に落ちる。
暑さをしのぐために持ち込まれた扇風機の音が、部屋に響く。外の木に止まった蝉の鳴き声が聞こえてくる。クリアウォーターは、計算された角度で東條の顔をのぞき込んだ。
「ミスター東條。あなたが過去に金本勇と接点を持ったことは、ほかの者から証言を得ている」
「…津川大 元中将が、話したのか」
東條は、かつて東京憲兵隊司令官だった男の名を挙げた。それによって、クリアウォーターが暴いた事実を、間接的に認めた。
東條が推測した通り。クリアウォーターは前日、巣鴨プリズンのまさにこの部屋で、収監されている津川に対し、尋問を行った。津川を召喚したのは、金本がかつて、実兄が起こした爆弾テロ事件が原因で、東京憲兵隊に拘束され、何日も取り調べを受けたことをつかんだからだ。
その尋問の過程で、東條と金本の間の思わぬつながりが、津川の口から明らかになった。
「津川の話によれば、一九三八年の七月、金本勇の兄――金光洙 が皇太子を狙った爆弾テロを起こした後、航空本部長だったあなたは、津川と、そして金本が所属していた熊谷飛行学校の校長だった高島実巳 の両中将を呼び出して、金本を最前線へ送りこむ提案をした。兄である金光洙が起こした事件に、金本本人は関与していなかった。けれども、犯罪者の弟を陸軍に置き続けることなど、あなたは到底、受け入れられなかった。だから、金本を前線に送って、早々に戦死させるつもりであったとーー結局、あなたの意見が通って、金本は半年も経たない内に、日本と交戦状態にあった中華民国へ送られた。今言ったことに、間違いないか?」
「…おおよそ、その認識で正しい」
東條は精一杯の威厳を保って言った。服の下では汗が流れ、胸の傷が痒くてたまらない。けれども、みっともない姿をさらしたくない意地で、かろうじて耐えた。
「ただ……言い訳に聞こえるかもしれないが。金本を前線送りにすることを思いついたのは、私ではない」
「では誰が?」
「当時、航空本部の総務課にいた少佐だ。あいにく、名前は失念したが…調べれば、わかると思う」
それを聞いたクリアウォーターの頭に、ある人物の経歴がよぎった。
「その少佐というのは、河内作治という名ではないか?」
「河内…? ああ! そうだ。河内作治少佐だ。彼を探して直接、聞くといい。もっとも自分の発案ではないと、否定するかもしれないが…」
東條の発言を聞く日系二世の通訳と赤毛の少佐は、顔を見合わせた。
「河内は死んだ」
クリアウォーターは言った。
「つい先月のことだ。『金本勇』を名乗る人物に、殺害された」
東條も、これにはさすがに言葉が失った。
「ミスター東條。金本勇が故人であることを、あなたはいつ知った?」
「……新聞記事だ。ただ、先ほどそちらが見せたのとは、別の新聞社のものだが」
「あなたは金本――帝国陸軍の航空兵だった金本勇曹長に、会ったことは?」
「ない。少なくとも、私が記憶する限りでは皆無だ。会ったこともなければ、顔も知らぬ。私が読んだ記事にも、写真はついていなかった」
「あなたは河内の意見を聞き入れて、金本を前線送りにしたというが。金本本人が、それを知った可能性はあるか?」
東條はしばし沈思した。
「…金本の処遇を決めた場にいたのは、私を含めて三人だけだ。私と津川、高島――その内、津川が金本に話すとは思えない。その理由もない」
「では、飛行学校の校長だった高島実巳は?」
「もっとありえない」
東條は断言した。
「金本の処遇を定めた経緯は、三人の腹におさめると決めた。口外しないと。高島は頑迷な男だが、それだけに約束は守る。たとえそれが、この私との間で交わされた、自分の意に沿わぬ内容であったとしても。仮に漏れるとすれば、河内の口からというのが、もっともあり得ると、私は思う」
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