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第16章⑨

 東條に対する尋問を終え、外へ出る頃には、すでに夕暮れ時が迫っていた。  停めたジープに向かいながら、アイダが上官に尋ねる。 「一度、荻窪へ戻りますか?」 「ああ。皆の作業の進捗状況を聞きたい。W将軍への報告は、その後でまとめて済ませよう」  答えながら、クリアウォーターは運転席側へ回り込む。 「帰りは、私がハンドルを握るよ。昨日、今日と、連日の通訳でさすがに疲れただろう?」  アイダは一瞬、迷う表情を浮かべたが、すぐに唇をつり上げた。 「ええ。正直なところ結構、くたびれてます。お言葉に甘えさせてもらって、いいですか」 「もちろんだ」  巣鴨プリズンの門を出て、しばらく走ったところで、クリアウォーターが尋ねた。 「それで、どうだった。元首相を尋問した感想は?」 「こんな状況じゃなけりゃ、誰かに自慢したいところですね」  アイダはいつもの皮肉っぽい笑みを浮かべる。 「なんと言っても、アメリカ人にとっては天皇と並ぶくらいに有名な日本人ですから」 「確かに」 「頭の切れる男だと、思いました。おまけに耳の痛いことも言われた」  アイダは夕暮れ時の街へ目を向ける。彼が少年期を過ごした東京の街は、炎に飲まれて失われた。復興への道のりは、まだまだ遠い。 「…この国(日本)は、アメリカに住んでいた日本人と、日系二世を切り捨てた。それが全てというわけじゃないが、俺はアメリカ人であることを選び、その軍服を今も着続けています。そして俺が選んだ国はーー両親が生まれ育ったこの国を、爆弾と焼夷弾で焼き払った」  アイダは肩をすくめる。 「やった方は都合よく忘れても、やられた方は絶対に忘れない。そのことをさっきの尋問で、改めて思い知らされました。東條があなたや俺に食ってかかった時の顔は、憎しみで歪んでいた。俺も前に、あんな顔をしていましたか?」  最後のひと言が何を指しているのか、クリアウォーターはすぐに思い当たった。  少し前に、クリアウォーターは第六航空軍にいた矢口馨元少将を尋問すべく、アイダと共に、岩手県まで足を運んだ。その帰路の列車で、アイダは矢口に抱いた反感をクリアウォーターに吐露した。その時のことを言っているのだ。 「そうだね…」  クリアウォーターは、前方に視線を向けたまま、少し考えて言った。 「感情的になった時の君の顔は、それはそれで魅力的だったよ」  その返事に、アイダが低い笑い声をもらす。 「口説いてます?」 「おや、バレたか」 「水、引っかけたいところですけど。あいにく水筒が空だ」  アイダはわざとらしく、手元にあった水筒をかかげた。 「場を和ませるつもりでも、そろそろそういう悪ふざけはやめにした方がいいですよ」  軽口にまぎらわせ、日系二世の准尉は忠告した。 「でないとその内、後ろから撃たれますよ。カトウのやつは、たまに冗談が通じない時がありますから」 「…心に刻んでおく」  クリアウォーターは神妙な顔で応じた。  口は災いのもと、ということわざを持ち出すまでもない。  うっかり口にしたことが原因で、クリアウォーターが他人の気を害したことは一再ではなかった。欠点だという自覚はあるのだが、いまだに治りきっていない。  そんなことを思っていると、過去に「気分を害した」者の一人が頭に浮かんだ。  起きている時間の九割方、皮膚の表面を不機嫌の膜でコーティングした半白髪の男。 「ソコワスキー少佐も、間が悪いタイミングで出張に行ってしまったな。東京にいたらきっと、金本の捜索に一役買ってくれただろうに」 「対敵諜報部隊(CIC)にいる知り合いに聞いたんですが。あっちはあっちで、大変みたいですね」  クリアウォーターはうなずく。  天皇誘拐を企てた「尽忠報国隊」のリーダー、田宮正一が何者かに殺害され、彼の屋敷の井戸から死体となって発見された。しかも屋敷は、放火が原因と見られる火災で全焼したという。  その知らせがW将軍の元へ届いたのは、昨日の朝のことだ。それ以上の詳細について、クリアウォーターは聞いていない。  けれども田宮殺しの犯人を挙げない限り、ソコワスキー少佐が東京へ戻ってくる確率はかなり低いと思われた。

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