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第16章⑪

「残念ながら…」ニイガタは言った。 「すでに、戦死しています」  ニイガタの次に口を開いたのは、フェルミ伍長だった。 「昨日と今日、巣鴨にいる人たちに話を聞いて、カナモト・イサミ牧師の似顔絵と全身像を描いてみたんだ」  フェルミは持参したスケッチブックを、頭の上に掲げた。 「ダニエル・クリアウォーターとジョージ・アキラ・カトウは、カナモト・イサミを直接見たんだよね。どうかな。似てるかな? プリズンの人たちはそっくりだって、言ってくれたんだけど」  鉛筆で描かれたデッサンには、金本の特徴――伸びたヒゲや髪といった記憶に残りやすい部分だけでなく、目や鼻、眉といったパーツまで、よく再現されていた。実際のところ、牧師の写真はあるにはあったが、手配書に載せても、さほど役立たないくらいひどい画質だった。  この復元画の方が、間違いなく使える。 「――うん。よく描けている」 「俺も似ていると思う」  クリアウォーターとカトウの二人からお墨付きをもらえたフェルミは、「えへへ」と笑みくずれた。 「カナモト・イサミは、変装することってあるかな」 「大いにあり得る」 「じゃあ、いろんな服を着せたり、髪型変えたバージョンもあとで描いてみるね」 「ヒゲを剃った顔は、再現できないかい?」  クリアウォーターの要望に、フェルミは「うーん」と歯切れの悪い返事をする。 「この人、モジャモジャのヒゲのせいで顔の輪郭がはっきりしないんだ。描くには描けるけど、本人と別物になっちゃうかもしれない」 「それでもかまわない。やってみてくれ」 「分かった。りょーかい」  フェルミが間伸びした返事を返す。 「後は…」  クリアウォーターが、一同を見わたす。  ニイガタの隣にいたカトウが、ゆっくり手を上げた。 「小脇順右と河内作治の殺害現場、それから巣鴨プリズンに残されていた血文字の正体が、判明しました」  それを聞き、クリアウォーターは軽く目を見張った。  金本は被害者や動物の血を使って、犯行現場にメッセージを残していった。  一見すると漢詩のように見えるそれに関して、クリアウォーターは早い段階で、帝国大学の中国文学や東洋史学の教授たちに、問い合わせをしていた。  しかし犯人同様、その正体はなかなか判然としなかった。無名の作者、あるいは殺人者の自作の可能性さえ、取り沙汰されていた。 「ーー俺の独断で。朝鮮の文学に詳しい人間に見てもらうよう、頼んだんです」  たどたどしい口調で、カトウは説明する。 「金本勇は朝鮮人だ。なら、詩も朝鮮のものじゃないかって、思ったんです」  カトウの仮説は当たった。漢詩に通暁した研究者が、数人がかりでも突き止められなかった文字の列なりを、朝鮮出身の学生に見せたところ、即座に正体を言い当てたのだ。 「これは『丹心歌(タンシムガ)』ですね」  彼は詩の全文を清書した上で、わざわざ荻窪まで持ってきて解題してくれた。  カトウは資料室のテーブルに、学生がくれた半紙を広げた。 ――此身死了死了 一百番更死了   白骨為塵土 魂魄有也無   尚主一片丹心 寧有改理也歟―― 「元々は朝鮮語でつくられ、歌われていた『時調』という詩を、漢詩に改めたものだそうです」  カトウはメモを見ながら言った。 「大体の意味はこうです。 『この身体が死んで、また死んで。百回さらに死んだとしても。  白骨が塵と化してなお、魂があるかどうか分からないが。  (あるじ)にささげた一片の丹心(まごころ)は、決して変わることはない』と」 「…なんや、翻訳を聞いても、わけのわからん詩じゃのう」  ササキの正直すぎる感想を聞き流し、カトウは続けた。 「この詩をつくった鄭夢周という人物は、朝鮮半島にあった高麗という国の大臣だった。高麗は当時、滅亡しかかっていて、李成桂という武人によって新しく朝鮮が建国されようとしていた。鄭は李成桂に仕えるよう勧められたが、それを拒否し、高麗への忠義を貫いた。そして、最後には殺されたそうです。この詩は、滅びようとする国に対する不変の忠誠心を唄いあげているーーとのことです」  カトウはメモから顔をあげ、クリアウォーターの反応をうかがった。  赤毛の少佐は指を半紙に添え、真剣な顔つきで見入っていた。 「…続きがあったのか」  クリアウォーターは、低い声でつぶやいた。 「小脇順右の殺害現場に、最初の六文字。次の河内殺しの現場には、第二句までの十二文字。そして巣鴨プリズンには、第四句までの二十二文字が残されていた。だがーーまだ続きがあった」  その言葉に、何人かが顔色を変える。  その中にカトウは入っていない。詩を受け取って、しばらく経った時点で、クリアウォーターと同じ結論に行き着いていたからだ。 「金本の殺人計画は、巣鴨プリズンで終わりじゃない。彼はまだ、誰かを殺す気だ」

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