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第16章⑲
「…だと、思った」
クリアウォーターはつぶやく。佐野の性分からすれば、十分予想できたことだ。
新聞記者が調べ上げた事柄は、多くの部分でクリアウォーターたちが明らかにしたことと重なっていた。それでも、クリアウォーターが知らなかった新たな情報も含まれていた。
〈小脇と河内はほとんど同時期に、陸軍の第六航空軍へ転出したんです。そこで二人は急速に関係を深めていったそうです。両者の協働は沖縄戦が行われていた頃に、ピークに達しました。
河内は第六航空軍の参謀部にあって、特別攻撃隊の編成とその運用を監督する立場にありました。ぼくが探し出した関係者の証言では、小脇は河内の意をくみ、特別攻撃隊がアメリカ海軍の艦隊に大被害を与えているとする記事を書いて、複数の新聞社に送りつけて掲載させました。
小脇の行いに、軍部がどの程度関わっていたかはいまだに未知数です。けれども河内元大佐がかんでいたことは、まず間違いのない事実ですーー〉
突然、卓上の電話が鳴り出した。
佐野の書簡を読むのに没入していたクリアウォーターは、ベルに一瞬、驚いて肩をゆらす。
何かしらの予感を覚えながら、赤毛の少佐は電話に手を伸ばす。
受話器から、聞き覚えのあるしゃがれ声が上がった。
「喂 。ダニエル・クリアウォーターはいるか?」
「…私本人だよ。莫 大人」
かけてきたのは、中華系黒帮 、「白蓮帮 」の頭目、莫後退 だった。
「電話をくれたということは。私が頼んだ航空兵探しのことで、何か進展があったのかい?」
「まあな。そのこともだが、最近、調子はどうだ? 何やら巣鴨の方で、きな臭い事件が起こったらしいじゃないか」
「悪いが、その件について私から話せることは何もないよ」
「逃げている朝鮮人の男は、見つかったのか?」
「ノー・コメント」
「なんだ。ずいぶん、つれないな。俺とお前の仲だろう」
「早く本題に入らないと、切るよ」
「わー、待て、待て! あせるな、話してやるから。だがその前に、とっておきの情報をサービスでつけてやる」
クリアウォーターが受話器を下ろす寸前で、莫 が言った。
「巣鴨プリズンから逃げ出した金蘭洙 は、『白蓮帮』のシマには来ていない。無論、奴の住処があった上野周辺もだ」
それを聞いたクリアウォーターは椅子の上で、わずかに身じろぎした。
「…ふむ。本当なら、なかなか貴重な情報だ」
「だろう?」
「そのことを私に教えてくれたのは、上野周辺を捜査しているアメリカ軍の憲兵 が、君達にとっては、かなり目ざわりな存在だからかい?」
「…相変わらず、頭のいいやつは話が早くて助かる」
莫は電話の向こうで、鼻を鳴らした。
「お察しの通りだ。まったく、例の朝鮮人のせいで、こっちはシマのあちこちで痛くもかゆくもない腹を探られるんだ! 営業妨害もいいところだぞ。上野に店を開いている朝鮮人の連中なんて、話を聞くだけで気の毒になってくる。あの金蘭洙と出身地が同じというだけで、まるで容疑者扱いだ。奴が顔を出していた店に至っては、軒並み台風一過というくらい憲兵どもにメチャクチャにされたという話だ。頼むから、見当違いなところに首を突っ込んでないで、とっとと他を探せと、お前の口から責任者に言ってくれんか?」
「残念だけど、私の手に余るな」
心底、気の毒そうな口調でクリアウォーターは莫に告げた。
「連合軍も官僚組織なんだ。部署違いの憲兵相手じゃ、どうにもできないよ」
「ふん。舌先三寸で、ヤクザを丸め込むやつがよく言う」
トゲのある笑い声が、受話器から上げる。
「お前のことだ。どうせ、上野をうろついている憲兵たちの親玉とも、通じてるんだろう」
「さすがに、それは買いかぶりが過ぎるよ」
ぬけぬけとクリアウォーターはウソを吐く。
それでも一応、莫がもたらした情報を、「憲兵たちの親玉」であるキャドウェル大佐に伝えておこうとは思った。
「…まあ、いい。とにかく、金蘭洙は上野には来ていない。無論、新橋や赤坂にもだ。それだけは、信じろ」
「分かったよ。それで、そろそろ私が頼んだ航空兵の件だがーー」
「名前はアズマ・トモだ」
出し抜けに莫が言った。
「東西南北の『東』に、智慧の『智』で東智 だ。戦時中は東京の西にある調布飛行場から出撃して、B29相手に戦っていたらしい。お前が言っていた首の傷は、戦闘中に機銃にやられたという話だーーそうそう。東 とつるんで、上野あたりをうろついていた他の『特攻くずれ』の連中も、何人か名前が分かった。ついでだから教えといてやるよ」
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