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第17章②

 後ろから、人が近づく気配がした。金本は振り返る。もとより、足音で誰かは気づいている。 「――しけた面してるな」  黒木だった。戦隊本部の方からやって来たところを見ると、戦隊長への訓練報告を終えたところらしい。  黒木は金本の前までやってくると、 「ん」  と、右手を上げ、タバコを挟む仕草をした。  金本は何も言わず、黒木の指の間に喫いかけのタバコを渡す。黒木はそれをくわえると、うまそうに煙をくゆらせた。  一連のやり取りは、いつの間にか二人の間で習慣となったものだ。昼間、人目のあるところで、大っぴらに口づけたり、戯れるわけにはいかない。それゆえの、代償行為だった。  タバコをふかす内に、黒木は金本が持つ巾着袋に目をとめた。 「なんだ、それ?」 「ああ。さっき、整備の中山からもらったんです」 「何が入ってるんだ?」 「お守りですよ。中山がくれたんです」 「…へえ。ちょっと、見せろ」  金本の方に、特に断る理由もな勝った。金本が巾着から赤い糸のついた飾りを出すと、黒木はそれをつまんで鼻先でくるっと回した。  小さな飾りに、花がーー梅か、木瓜らしい紋様が彫られている。  それに気づいた途端、黒木は眉間にシワを寄せた。 「……これ、中山にもらったって言ったな」 「はい」 「捨てていいか? ――よし、いいな」 「いいわけないだろ!!」  思わず敬語を使うのも忘れて、金本はつっこんだ。  黒木は聞く耳も持たず、腕を振りかぶった。もらったばかりのお守りが、滑走路の彼方へ消え去りかける。その寸前で、金本は力づくで奪い返した。 「一体、なんのつもりだ!?」 「いいから今すぐ捨てろ。縁起でもない」 「…え? これ、不吉なものなのか」  金本は、にわかに信じられなかった。  中山がそんなものを渡してくる理由が、思いつかない。大体、全く同じものを中山本人が持っていた。  困惑する金本に、黒木は冷たい一瞥をくれた。 「…受け取るお前も、お前だが。中山のやつめ。意図的にやったんなら、とっちめてやる」  結局、お守りの何が問題なのか、黒木は教えてくれなかった。  機嫌の悪い隊長と共に、金本は「はなどり隊」のピストへ戻った。あと一時間もすれば夕食の時間だ。その時までに黒木が機嫌を直してくれたなら、もう一度聞いてみよう。  そんなことを考えながら、金本はピストの引き戸を開ける。  一歩入ってすぐに、搭乗員たちの中に、他の隊の者が混じっていることに気づいた。  三白眼気味の眼と、鼻の下からアゴにかけて一直線に走る傷跡が特徴的な男ーー「らいちょう隊」の蓮田周作少尉だ。  黒木の姿を認めた途端、思い思いにくつろいでいた「はなどり隊」の搭乗員たちが、いっせいに立ち上がって敬礼した。彼らより少し遅れて、蓮田もそれに倣った。  二月の艦載機の来襲時、「らいちょう隊」は隊長が戦死するなど、大きな被害を出した。  蓮田は生き残った中で最も階級が高く、総飛行時間も長い搭乗員だった。それゆえ、黒木は戦隊長と相談の上、この男を「らいちょう隊」の事実上の隊長に据えて、その再編を進めた。  蓮田の実力を認めた上での采配であった。だが、蓮田本人は、あまりそのことに感謝している素振りはない。  黒木の命令に一応、従っているものの、明らかに心理的な壁を残したままだった。  黒木は部下たちに「休め」と言うと、蓮田の前へずかずかと進んだ。 「『はなどり隊』のピストに来たってことは、俺に用事か?」 「…先ほど、ご命令があった通り。夜間飛行訓練に参加する『らいちょう隊』の搭乗員を選出しました」  蓮田はかがむと、服のポケットからたたんでいた紙を取り出した。 「これが、参加者の一覧です」 「ああ。ご苦労だった」 「では、小官はこれで」  蓮田は傍らにあったタバコの箱を手に取ると、長居無用とばかりに半長靴を履こうとする。  その時、 「待て」  黒木が引き止めた。 「花札してたのか?」  見れば、蓮田が座っていたあたりに裏返された花札が散らばっていた。ちょうど対面に座っていた笠倉が、苦笑いをこぼす。 「少尉どのは強いですよ。大分、巻き上げられました」 「そのようだな」  黒木の目が、蓮田の手にあるタバコの箱をとらえる。ほぼ満杯だ。  花札で勝負して、笠倉や「はなどり隊」の他の搭乗員たちから入手したのは、聞かずとも明らかだった。  黒木が面白そうに唇をゆがめた。 「おい、蓮田少尉。夕飯まで時間があるだろう。もうひと勝負くらい、つき合えよ」

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