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第17章④

「無礼が過ぎます! 蓮田少尉……」  カッとなって金本は叫んだ。もし、周りに人がいなければ、蓮田につかみかかって一発入れていただろう。激発しかける金本を止めたのは、黒木の声だった。 「勝負の最中だ。口をはさむな」  そう言って、黒木は唇をつりあげる。  この上なく魅惑的だが、同時に関わる者を破滅に導きかねない危険さをはらんだ表情。  ケシの花を思わせる笑みに、金本を含む全ての者が目を奪われた。 「――勝ちゃいい話だ」  黒木が四つの花札の山から、一つを選び出す。我に返って、蓮田もそれにならった。  黒木が三枚捨てる。合計は二十。  しかし、ここで蓮田の動きが止まった。まもなく、いらだった様子でタバコを灰皿でひねりつぶすと、手札を全て投げ出した。  ススキ(八月)が二枚。あとは牡丹(六月)、萩(七月)、そして紅葉(十月)。  どの札を選んでも、十の倍数を作れない組み合わせだった。  第三戦、この時点で黒木の勝ちが決まった。  金本はほっと胸を撫で下ろした。少なくとも、これで黒木の負けは無くなった。 「最後の勝負だな」  黒木はあぐらをかき、これみよがしに肘をつく。 「俺が勝ったら、何をしてもらおうか」 「…まだ、勝敗は決まってないです」 「言ってろ。どっちか、好きな方を取れよ」  蓮田は残った二つの山に目をやり、右側をとった。最後に残った一つを黒木が手にする。  その場に居合わせた全員が、固唾を呑んで勝負の行方を見守る。黒木も、蓮田も、ともに手札を三枚捨てる。  二人の男は互いを見やると、同時に残った二枚を示した。  黒木は藤(四月)と牡丹(六月)――合計十で、一の位がゼロの「ブタ」だ。  対する蓮田はーー。 「クッピン(一と九の組み合わせ)」  その瞬間、ざわめきが上がった。黒木が札を畳に投げつける。  その対面で、蓮田は悠々とマッチを擦ってタバコに火をつけた。  両者ともに二勝二敗。引き分けだった。  日没後も、空襲警報が鳴らないまま静かに夜はふけていった。  やがて消灯時刻を迎える。搭乗員たちはいつ空襲が来ても、即座に行動にできるよう心の準備だけはして眠りにつく。  らいちょう隊のピストでも、蓮田が早々に布団にもぐりこんでいた。  時々、飛行場内を駆け抜ける突風が、頭上にある通気窓をガタガタ揺らす。  その風のせいで一度、大きな音が鳴って、蓮田は眠りを破られた。不平を呟き、寝返りを打つ。周囲の様子をうかがったが、起きたのは彼一人だけのようだ。  鼻の辺りに、冷気が漂っている。耳に触れると、氷のように冷たい。  目をつむって寝ようと試みた時、不意に幼少時代の記憶が襲ってきた。  雪が積もる日は、日ごろの飢えに加えて骨まで染み込む寒さで、一晩中眠れなかった。  極貧だった深川の生家。そこから、「もらい子」として遠縁の家へ引き取られたのは、七つの時だ。生家でも厄介者扱いだったが、引き取られた家での扱いはさらにひどかった。毎日のように家の者に罵言を浴びせられ、殴られ、食事はあからさまに差をつけられた。  そこに、心安らぐ居場所などなかった。  小学校を卒業した直後から、蓮田は家出を繰り返すようになった。  一時の自由と引き換えに、たいていのことに手を染めた。  ポン引き、スリ、盗み。どうしても立ち行かない時、金だけはある変態に、自分の身体を売ったこともあった。ヤクザ者と揉め事になり、顔を切りつけられたのもこの頃だ。  何度も警察に捕まっては、養家に送り返されることを繰り返し、最後にはそこからも追い出された。  食うために行き着いた先が陸軍だった。日華事変が起こり、戦線を拡大するために兵士はいくらあっても足りず、自分のようにスネに無数の傷がある者も、割とすんなりと入隊できた。  軍隊という組織は、意外にも蓮田の性に合った。  社会にとって鼻つまみ者でしかない人間も、ここでは幅を利かせられる。    それは、歩兵から転科し、飛行兵となった今も本質的に変わらなかった。

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