330 / 370
第17章⑤
力がある者に人は自然と集まりついていく。
「らいちょう隊」の隊長にはそれがあった。ーーあるものと、蓮田は信じていた。
アメリカの艦載機に囲まれて、なすすべなく撃ち落とされるまでは。
蓮田は風の吹き抜ける音に、目を細める。
黒木について、蓮田はこの三週間、注意深く観察してきた。
戦闘機搭乗員としての素質、統率力、それに類いまれな美貌から来るカリスマ。蓮田が思うところの「力」は、間違いなく備えている。
けれども、命をあずけるにはあまりに危うい相手とみなさざるを得なかった。
長い間、底辺を這って生きてきた蓮田は、人の性質を見抜く術を自然と身につけた。
黒木は複数の長所を兼ね備えている反面、短気で、傲慢で、感情の揺れ幅があまりに大きい。先の戦闘で「らいちょう隊」の指揮下に入るのを拒み、その結果、多くの犠牲を出したことを、蓮田は忘れていなかった。
あの顔に、騙されてはいけない。
心中するくらいの気でいなければ、ついていったことを絶対に後悔する。
あれは、そういう類の男だ。
それでも、「はなどり隊」の搭乗員たちは、少なからず心酔している。その中でも、特にひどいのが金本勇だ。朝鮮人のくせに、黒木のためなら命を投げ出してもおかしくない忠誠ぶりだ。
その意味では、一緒に花札をやった笠倉孝の方がまだいい。転属して調布にやって来た笠倉は、黒木に対して一歩引いて接する態度を保っていて、こちらの方がつき合いやすそうだった。
そんなことをつらつら考えた時、突然、ピストの引き戸が開いて誰かが入ってきた。
蓮田は最初、「らいちょう隊」の搭乗員の誰かが、便所から帰ってきたのだと思った。
ゆえに、薄闇に「はなどり隊」の金本勇の姿を認めた時は、かなり驚いた。
その驚きが去った後、蓮田の頭に浮かんだのは、「報復」の二文字だった。自分の大事な隊長をけなされて頭にきた金本が、落とし前をつけるべく闇討ちに来たと考えたのだ。
――なんてやつだ…ちっ、返り討ちにしてやる。
蓮田は目をつむり、布団の中で身がまえた。金本が近づいてきたら、その不意をついて飛びかかるつもりだった。うまくいけば、驚いた金本が、そのまま尻尾を巻いて退散するかもしれない。
足音がする。薄目を開けると、誰かが、こちらをのぞき込んでいる。
蓮田は、跳ね起きると同時に、すぐ目の前にいる相手の胸倉を引っつかもうとした。
だが目的を達するより先に、伸ばした手をつかまれ、ねじり上げられた。
相手の姿を見た蓮田は、叫ぼうとして口を開けたまま、固まってしまった。
「――なんだ、起きてたのか」
ささやく声は、金本のものではなかった。
ピストへの侵入者は一人ではなく、二人いたのだ。
一人は金本で、土間の方で他の搭乗員が騒ぎ出さないか見張っている。
そして、もう一人は――その声を聞くまで、蓮田は正体に気づかなかった。
その人物は長生蘭の紋様をあしらった、艶美な玉虫色の着物を着ていた。
言うまでもなく女物である。それも、女性のもんぺ着用が半ば義務化している今日この頃では、まず見かけない華麗な色合わせだ。
そして、短髪を隠すために搭乗員の白いマフラーを巧みに折って、頭に巻きつけていた。
絶句する蓮田に向かって、薄く紅を引いた唇をつり上げ、黒木は嫣然と笑ってみせた。
「貴様の望み通り、してやったぞ。女の格好。どうだ? なかなか悪くないだろう」
蓮田は、出来そこないのしゃっくりをするように喉を上下させる。
悪くない、なんてものではない。
磨いた黒水晶のような瞳。どんな工芸家でもなしえないくらい、完璧なバランスを持った鼻梁と唇。それらが小ぶりな顔に見事におさまっている。
女優のブロマイドも含め、蓮田がこれまで見てきたどんな女よりも、鮮烈に美しかった。
魂を抜かれたような男に向かって、黒木は言った。
「今度は、俺の望みを聞いてもらうぞ。蓮田少尉」
黒目がちな黒木の瞳が薄闇の中で、蜘蛛の目のように底光する。
「俺が下すどんな命令にも、今後、絶対服従しろ」
射すくめられた蓮田は、心の中で降参の白旗を上げた。
これは、かないっこない。
あまりに浮世離れしたその姿は、人ですらない何かに見えた。
天女にしては表情に邪気が多すぎるし、夜叉にしては屈託がなさすぎるがーー。
黒木の言葉を、蓮田は天の声のように聞き入れた。
「貴様の持っている力の一切を、今後俺のために使え。いいな?」
ともだちにシェアしよう!