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第17章⑬
「ちょうど、光洙が生まれた頃だ。三・一運動(※一九一九年に朝鮮で起こった大規模な独立運動)が起こり、朝鮮全土に独立の気運が満ちた。光洙にせがまれて、私はその時のことを、何度もあの子に話した――光洙は、お前たち兄弟のなかで一番聡い子だった。けれども、あまりに純粋すぎた。お前の兄の本質を、私は見誤った。いずれは、醜い現実を受け入れて、折り合いをつけて生きて行くだろうと思っていた。だが……そうはならなかった」
金本に語りかける旻基の目には、涙がにじんでいた。
「光洙は、気づいてしまったんだろうな。日本の支配は、少々のことで揺るぎはしない。朝鮮人が国を失ったことに、よその国々は全く関心がない。それどころか…同胞すら、その多くが日々を生きることに精一杯で、自分と家族以外のものに、目を向ける余裕がない。もはや自分たちが独立を回復させる機会は永遠に来ないと、そう気づいて……抱いてきた希望が、絶望に変わったんだろうーーああ、本当にかわいそうな子だ。ほんの少しだけ、諦めて受け入れることができていれば、自分が望んだものを、生きて目にすることができただろうに。光洙に夢を見させて、死に追いつめたのは私だ」
「…違うよ、父さん」
金本はつぶやいた。
「俺が兄さんを、止めなきゃいけなかった。一番近くにいた肉親だったんだから。けれども、俺はそのつとめを果たさなかった。兄さんを置き去りにして、俺は自分の夢を追った――そして死なせてしまった。哲基叔父さんも…」
金本は自らの両手を見やった。
この手も、腕も、身体もーーそう遠くない未来に骨と化して、砕けて散る。
「ーー俺も遠からず、二人のところに行く。そうなったら、血反吐を吐くくらいに謝るから……」
「バカなことを言うんじゃない!」
旻基は息子を叱り飛ばした。
「本当なら、お前たち兄弟が私の棺を用意して、その前で泣くべきだろうに。もうこれ以上、私に、葬式の喪主をさせてくれるな」
「父さん…」
「生きて帰ってくるんだ。蘭洙」
旻基は息子の両肩をつかみ、震える声を絞り出して言った。
「生きてさえいれば、後のことはなんとかなる。生きていれば…それだけが、私の望みだ」
真夜中近く、金本と父親が就寝する部屋の戸が開いて、誰かが中をのぞき込んだ。
言うまでもなく、消灯時間はとっくに過ぎている。
長旅の疲れが出たのだろう。息子に会えた安堵もあったのかもしれない。旻基は横になると、ほどなく布団の中で寝息を立て始めた。
一方、金本は昼間、出撃したにも関わらず寝つけずにいた。
父親と過ごす、これが最後の晩になるかもしれない。他にも色々な思いが頭の中に渦巻いて、眠りに落ちかけては目覚めることを、繰り返していた。
だから、戸が開く音がした時も、すぐに身体が反応できた。
「…起きてるか、蘭洙?」
呼びかける声は小さかったが、すぐに誰か分かった。父親以外に、金本をその名で呼ぶ人間はこの場所に一人しかいない。
返事をする代わりに、金本は起き上がる。そのまま音を立てないように、廊下にたたずむ黒木の元へ行った。
仮泊所から少し離れた地面に、金本と黒木は並んで座った。
晴れて、静かな夜だった。すでに気温が氷点下を下回ることはなくなっている。厳しい寒さは峠を越えて、少しずつだが春の気配が漂い始めていた。
「父親は、何日かこちらにいるのか?」
黒木の問いに、金本は「いいや」と首を振る。
「朝になったら、帰らせる。いつまた、B29が来るとも限らない。それに、米軍は海に機雷の投下を始めた。内地と朝鮮との間で、船の行き来ができなくなる日も、そう遠くないかもしれん。だから、そうなる前に帰らせる」
「せっかく何日もかけて、東京まで来たのにか?」
「家族との面会なんて、そんなものだろう」
「…そうだな」
黒木は反論しなかった。
「父親と何を話したんだ?」
「…別に、たいしたことは何も」
「故郷へ戻ってこいと、言われたんじゃないか?」
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