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第17章⑭

 金本はギョッとする。一瞬、黒木が金本と父親のいた部屋の隣室か、あるいは窓の下で立ち聞きをしていたかと、疑う。しかし出撃があった日の夜、飛行隊の隊長は大抵、ピストでの夕食に顔を出すのもままならぬくらいに忙しい。黒木に盗み聞きをする暇は、なかったはずだ。  金本のその考えを読んだように、黒木は鼻を鳴らした。 「朝鮮の北の果てから、はるばる東京まで息子の顔を見にきたんだ。何を言ったかくらい、想像はつく」 「…軍人になった息子のことなんて、とうに諦めがついていると思っていた」  金本は遠回しな言い方で、黒木の推測が正しいことを認めた。 「俺は三男だ。家も土地も祖先の祭祀も、いずれは全部、長兄が継ぐ。父にとって、一番大事な息子は兄の仁洙だ。海を渡って、空襲に遭ったり、特高に目をつけられる危険をおかしてまで……普通、来るか?」 「来ない親も、いるだろうな。だけど来る親だって、世の中にはいるだろ」 「……」 「今さら言っても、詮無いことだが。無理をしてでも、故郷に戻らなくて、本当によかったのか? 後悔してないか?」  金本はその問いに答えなかった。  代わりに黒木の胴に腕を回し、その身体を抱きしめた。口づけるでもなく、肉欲を示すでもなく、ただただ固く、力強く――。 「蘭洙…?」  黒木の困惑が伝わってくるが、金本はかまわなかった。  胸中にうずまく想いを、口に出しては言えなかった。  父が会いに来てくれたことを、ありがたいと思う。それでも黒木のかたわらにいて、彼を支えて戦いたいという気持ちが、揺らぐことはない。そのことを、金本は改めて自覚した。 「――故郷には、いずれ戻る」  たとえ骨になっても、あるいはそれすら叶わず、魂だけであっても。  母親を悲しませ、父親の望みを打ち砕くことになるだろうがーー。 「今は、お前のそばにいたいんだ。栄也」  次の日、迎えに来た韓文葵(ハンムンキュ)と一緒に、旻基は旅立っていった。  せめて旅費の足しになればと、金本は手元にあった金のほとんどを父と、そしてここまで父親を送り届けてくれた青年に礼として贈った。  旻基は最初は受け取らなかったが、金本は母と兄宛に書いた手紙と一緒に、強引に手の内におさめさせた。  そうして、後ろ髪を引かれる様子の父に、別れを告げた。 「ーー俺が戻るまで、元気でいてくれ。母さんや仁洙兄さんたちにも、息災でいてほしいと伝えてくれ」  金本は飛行場の門のところで、二人の姿が街道の向こうに見えなくなるまで見送った。  三月末日。久しぶりに、いい知らせが入った。  艦載機との戦闘で負傷し、入院していた今村が退院し、原隊に復帰することになった。  戻ってきた「はなどり隊」の副隊長を、搭乗員たちはもろ手を上げて歓迎した。金本でさえ、今村の姿を見て喜んだ。  復帰の挨拶をしに来た今村に、黒木も皮肉混じりの笑みを向けた。 「これで、ようやく俺の負担が減るな――少しずつでいい。なまった勘を、訓練で慣らしていけ」 「はい」 「貴様が乗っていた飛燕は、修理が終わって一足先に戻っている。詳しいことは、整備の千葉をつかまえて聞いてくれ」

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