340 / 368

第17章⑮

「――花見がしてえな」  笠倉が唐突に、そんなことを言い出した。  後ろに立って、彼の髪を刈っていた(あずま)は、胡乱な目つきで年かさの曹長を眺めた。  ひまのある時、ピストの外に椅子を出して、搭乗員同士で髪を切る光景は、戦隊内ではなじみのものだ。たいていは仲の良いもの同士か、それか日頃つるんでいる面子(メンツ)でやる。  東は笠倉の言葉が聞こえなかったふりをして、ハサミを動かす。チョキチョキと、音だけは一丁前だが、切れ味はそれほどよくない。多分、そろそろ磨ぎどきだ。  そのまま、散髪に集中しようとしたが、 「ソメイヨシノが一、二輪だけ、咲いてるのを見かけたんだよ。お前、気づいていなかったか?」  重ねて言われては、無視し続けるわけにもいかなかった。  仕方なく、東は笠倉との会話に応じた。 「そういえば、咲いてましたね。でも、満開にはまだしばらくかかるんじゃないですか? 大体こんな戦況で、宴会開いている余裕なんて、ないでしょう」 「そうか? 例の大空襲以来、アメさん、めっきり東京に来なくなったじゃねえか。おかげで、こっちもひと息つけている」 「爆撃機の数をそろえるのに時間がかかっているだけで、そろそろ、大規模に来るんじゃないですか?」 「……お前さ。そういう不吉な推察は、やめろよ。二月の時もろくでもないこと言って、その通りろくでもない結果になったじゃないか」 「米軍機が来るのは、別に俺のせいじゃないですよ――終わりました」 「おーう。ご苦労さん。ありがとうよ」  笠倉は短くなった髪を撫で、立ち上がった。出来上がりに満足し、袖や肩に残る細かい毛を手で払う。  そこで、東が片付けにかかっているのに気づいて、笠倉は言った。 「ハサミ、貸せ。交代で切ってやる」 「まだそんなに伸びてないから、いいです」 「伸びて、むさ苦しくなる前に切っとけって――ほれ。座れ、座れ」  東は気が進まない顔だったが、黙って、がたつく椅子に腰かけた。  笠倉は器用な手つきで、ハサミを振るう。しばらくして、東が感心したようにつぶやいた。 「切るの、上手ですね」 「そうか? こんなもん、誰がやっても大体同じだろ」 「そうでもないですよ」  東は珍しく、自分の方から昔話を語った。 「少年飛行学校にいた時、散髪の金をケチって、同級生に切ってもらったことがあったんですが。まあ、不器用なやつで。何回もハサミの切っ先で刺された上に、ひどい髪型にされました」 「…短く刈るだけで、そんな変なことになるか?」 「遠目に、漢数字の『六』に見えるような仕上がりにされました。…おかげで、しばらく周りから『六なのに、ろくでなしの髪型』と、からかわれてました」  笠倉は思わずふきだした。 「なんだ、そりゃ。あー、でも良いかもな。遠くから見ても、すぐにお前だって分かる」 「ちょっと…」 「冗談だよ。心配するな、ちゃんと切ってやる」  東は疑わしい目つきを向けたが、不信を口に出すことはなかった。  言ったのは別のことだ。 「今村少尉。戻ってきましたね」 「そうだな。わりと元気そうだったが、ひと月寝てたことを考えると、最初はあまり無理せん方が、いいだろうな」  笠倉は、滑走路に目を向ける。今村が着陸した時の情景が、ふと頭に浮かぶ。 「ーー片翼での着陸なんて、そうそうできるものじゃない。特操出身とはいえ、少尉どのは操縦の勘がいい。あと運も。あやかりたいところだな」 「曹長どのは、あまりくじ運とか良くないですもんね」 「やかましいわ」  生意気な口をきいた制裁として、笠倉は東の髪の一本を、わざと引き抜いた。  東が「痛っ」とつぶやく。非難の視線を向けるが、当然のように、笠倉はどこ吹く風とばかりに無視する。  東はむくれていたが、しばらくして小声で言った。 「…――いいものですね。元気で還ってきてくれるのは」  それを聞いた笠倉は、一瞬、ハサミを止める。チョキチョキという、小気味よいハサミの音も同時に止まる。  笠倉が「はなどり隊」に来たばかりの頃、東はB29との戦闘中に勝手に体当たりをしようとしたり、特攻に志願しようとしたりと、何かと目の離せない人間だった。  ありていに言えば、死に急ぐような言動ばかりして、笠倉や周囲の手を焼かせていた。  その青年の口から、誰かの生還を喜ぶ言葉が聞ける日が来るとは、思っていなかった。 「――やっぱり、花見しようぜ」  笠倉は笑って言った。 「今村少尉の生還祝いも兼ねて、黒木隊長に提案してみよう。宴会とまでいかなくても、桜の下に敷物敷いて、飯食うくらいはできるだろ」

ともだちにシェアしよう!