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第17章⑰

かもくじら(B 2 9)の上に、いわし(直掩機)発見! 数は三○…〉  黒木は無線で、地上にいる人間たちに米軍戦闘機の存在を告げた。  すでにある程度、予想されていた事態だった。  三月下旬、硫黄島にいた日本の守備兵約二万人が、米軍との激しい戦闘の末に玉砕した。  アメリカ側にも多数の死傷者が出たが、その多大な犠牲を払って、ようやく東京から千二百五十キロの距離にあるこの島を手に入れた。  爆撃機に比べて、戦闘機は航続距離が短い。しかし、硫黄島からならーーB29を援護して、日本本土へ飛んで来ることも可能だ。 〈くじらは、相手にするな!〉  黒木は、部下たちに告げる。 〈大物は、他の飛行隊と高射砲部隊にまかせろ。俺たちは、いわし(直掩機)の排除に集中する!〉  言いながらも、黒木の中の冷めた部分がささやく。  言うは易しだな、おい? ――ここまで大きな破綻こそ見せていないが、黒木が今、率いている搭乗員の三分の一は、飛行時間が二百時間に満たない技量未熟者たちだ。ひと昔前なら、飛行学校の在学生の水準である。  戦闘が終わった後、彼ら全員が撃ち落とされていたとしても、驚きはしないだろう。  黒木は酸素マスクの下で、歯を食いしばる。  まったくもって、ひどい状況だが、それでも頼りになる者もいる。金本。笠倉。蓮田。それに今村をはじめ、昨年十月以来、いくつもの空戦を生き抜いてきた「はなどり隊」の面々も、今ではいっぱしの戦闘機乗りだ。  彼らを信じて、やるしかなかった。  直掩としてやって来た米軍の戦闘機部隊は、B29に張り付くような、まどろっこしい戦術は取らなかった。  一番近くを飛んでいた日本軍機――つまり黒木たちへ向かって、一切の躊躇なく、飛びかかってきた。  接近する敵編隊の動きを見て、黒木は舌打ちする。無駄がなく、統率が取れている。  個々の搭乗員の技量もさることながら、指揮官の質の高さがうかがえた。  そして、この頃には敵の正体も判別できるようになっていた。 「――よりにもよって、P51か…!」  アメリカ陸軍の最新鋭の戦闘機。黒木たちが乗る「飛燕」と機影こそ似ているが、性能も武装も向こうの方が優っている。 〈全員、ついて来い! 高度四〇(四千メートル)まで、降下する!!〉  酸素不足ぎみの頭で、それでも黒木は最適解を導き出す。  「飛燕」は海抜八千から一万メートルと言う高高度まで、上昇可能だ。しかし、その高度での飛行能力は、通常高度に比べて著しく低下する。  一方、陸軍が入手した資料によれば、米軍のP51は海抜七千メートルでも最大時速七百キロで飛行可能だという。黒木たちがいる高度八千メートルの空は、P51側に圧倒的に有利だ。  要するにーーそこにとどまること自体が、自殺行為ということである。  たとえ、上方を占位される不利を選んでも、飛燕の実力を遺憾なく発揮できる高さまで降りなければ、話にならなかった。  猛禽から逃れる燕のように、黒木たちは降下していく。そのまま、目標高度に達すると同時に、「はなどり」「らいちょう」「べにひわ」の各隊のまとまりに、散開した。  …下方へ逃れるトニー(飛燕)たちを、P51らが猛然と追う。  愛機の操縦席で、グラハムは飛燕たちの一連の動きを、何一つ見逃すまいと観察した。 「ーー動きの鈍い者がいる。新兵か…」  逃げた先で、敵機が再び編隊を組み直して、散開する。  それを目にしたグラハムは、思わず「ブラボー」と呟いた。  あたかも、チェスプレーヤーが盤上で、対戦相手に予想外の一手を打たれたような気分を味わう。敵とはいえ、賛嘆せざるを得ない。  操縦技術がつたない者を抱えながらも、ここまで鮮やかに退却し、そして迎撃の構えを見せる敵を、グラハムは初めて目にした。 ――指揮官は、間違いなく非凡だ。おまけにトニー(飛燕)というのなら…!  サイパン島で、B29の搭乗員たちの間で語られていた話。  日本の航空隊の中でも、頭抜けた実力を持つトニー(飛燕)の集団。そして、命知らずな攻撃法をする「月と花」を尾翼に描いたパイロット。  もしかすると、あの中にいるかもしれないーーそう考えるだけで、グラハムの背中に、言い知れぬ興奮が走った。

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