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第17章⑲
「――こりゃ、まずいかもしれん」
空中で初めて交戦して以来、何百回と口にしてきた台詞を笠倉はつぶやいた。余裕がないのはいつものことだが、実際のところ、状況はかなり危機的だ。
味方の飛燕が撃墜された直後、撃ち落としたP51の連中が勢いに乗って、一番近くにいた飛燕たちに狙いを定めてきたのだ。
すなわち、笠倉の小隊に。正直な話、呼んでもないのだから、来ないでほしい。
笠倉たちはすでに同数の敵に追い回されていて、増援が来たようなものだった。
ーー単機なら、まだどうにかなりそうだが…。
笠倉は内心ぼやく。一人なら、いくらでもやりようはある。飛燕の性能にものを言わせて、急上昇した後、急旋回なり反転降下すればいい。何度か繰り返せば、多分、逃げ切れる。
しかし、笠倉のそばには、あと三機の飛燕がいた。林原や東はともかく、『はなどり隊』に来たばかりの柴田という男――東よりさらに年下というから、笠倉などからすれば、もはや少年と変わりない――は、そんな飛行教練にない動きには、ついて来られまい。
技量不足の搭乗員が味方から離脱するということはーーこの場において、死を意味した。
二ヶ月前、艦載機との戦いで、笠倉の小隊からは一人、戦死者が出ている。連続して死人を出すことは、可能な限り、避けたいところだった。
笠倉は、素早く周囲を見渡す。敵味方の位置を把握すると、即座に次善の策を取った。
幸い、高度は十分ある。笠倉は機体を大きくバンクさせ、下方に向かって宙返りをした。こうすると、狭い旋回半径で、飛んでいたのと逆方向へ逃げることができる。追ってくる敵のすべては無理だろうが、何機か脱落させれば、少しは危険の度合いが下がるはずだ。
一度は、その方法でうまくいきかけた。
ところが、高度を犠牲にして得た速度で、再び上昇しようとした時だった。
一機のP51が突然、急降下してきた。機首に、骸骨が描かれている。
気づいた笠倉は、とっさに横ロールの動きで回避した。しかし、突発的な小隊長の動きについて来られたのは、僚機の東だけだった。
林原と柴田は降下でかわし、そのまま笠倉たちから引き離されてしまった。
皮肉なことに、高度を落とした二機は、P51の追撃を逃れることになった。
アメリカ人パイロットたちが、先に笠倉と東を撃ち落とす方を選んだからだ。
…それは、ほんの何秒かの間の出来事だった。
東は、笠倉の動きに死に物狂いで食らいついていた。だが、ある瞬間、コンマ数秒の間に、背後に迫るP51との相対距離が、五十メートルを切った。
射程圏内に入った飛燕めがけて、P51に備えつけられた六丁の十二.七ミリ機銃が一斉に火をふいた。
逃げ続ける笠倉の視界の端を、機銃の曳光弾が、発光しながら飛んでいく。
振り向いて、笠倉は息をのんだ。
東の飛燕が傾いて、右翼の側から黒煙と炎を吐いていた。
操縦席の中にいる青年の姿が、笠倉の目に映る。飛行眼鏡と酸素マスクのせいで、東の顔はほとんど見えない。それでも、恐慌状態に陥っていることが、笠倉には手に取るように分かった。
ほんの一瞬、東が笠倉の方を向いた。まるで、助けを求めるように――だが、笠倉が目にすることができたのは、そこまでだった。
炎上し、失速した飛燕が、傾いたまま墜ちはじめた。
〈落下傘で脱出しろ!! 東――!!!〉
無線に向かって、笠倉は声のかぎり叫んだ。
〈この高度なら、まだ間に合う!! 機体は捨てて、飛び降りろ!!〉
背後では、P51たちがなお、執拗に追ってくる。
それでも笠倉は煙を引いて、小さくなっていく飛燕を目で追わずにはいられなかった。
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