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第17章㉑

 バリバリという嫌な音を、笠倉は聞いた。飛燕のジュラルミンの装甲に、一二.七ミリ機銃が着弾した音だ。  同時に、右肩に火箸で刺されたような衝撃が走った。 「……痛ってぇ!!」  悲鳴を上げて、笠倉は自分の身体を見下ろした。飛行服の一部が破けて、そこから血の飛沫が流れ出している。まずい。撃たれた。  笠倉は涙目になりながら、必死で回避行動につとめた。  幸運の女神に、笠倉は完全に見放されたかのように見えた。僚機の東を失い、負傷した状態で、米軍最強の戦闘機たちに追い回されている。  笠倉が単機になり、複数のP51に追いつめられつつあることに、黒木も金本も気づいていた。『らいちょう隊』に属す蓮田もだ。しかし三人とも、巧妙な連携を見せるP51たちを相手に、自機や味方機を守るのに精一杯で、にわかに救援に向かえなかった。  もとより、笠倉もそんなものは、はなから期待していなかった。自分で招いた事態だ。幸運が得られないなら、せいぜい悪運を頼みに、自力で状況を打開するしかない。  笠倉は操縦桿を握る手に力を入れた。ちょっと動かしただけで、右肩が痛い。めちゃくちゃ痛い。それでも腕の方は、指先に至るまで、しっかり動いてくれた。  笠倉はスロットルを上げ、並走するように飛んでいたP51に、急接近した。長年培った技術と勘で、接触しないぎりぎりの距離まで近づく。  それは、ヤングハズバンド少尉の機体だった。ジェンキンスの二の舞になることを恐れた少尉は、とっさに機体を浮上させて、距離を取ろうとした。  それこそ、笠倉の思うツボだった。  上方へ逃れようとするP51の尾翼を、笠倉は狙いすまして機銃で撃ち抜いた。  そのまま一気に操縦桿を引いて、急上昇にうつる。P51たちが追いかけてくる。  笠倉は歯を食いしばって、操縦桿を動かす。飛燕が反転し、天地がひっくり返る。敵に一番、狙われる危険な瞬間。それをどうにかやり過ごすと、その状態のまま、今度は急降下した。  計器盤の中で、速度計の針がみるみる右側へ傾いていく。それと逆に、高度計の方は左側へ針が向かう。  眼下に、西多摩の山々が迫ってくる。  この時、笠倉がとった戦法は、むしろ黒木にふさわしいものだった。地面に衝突しないギリギリのタイミングで、操縦桿を引きあげる。さすがに右手は使わず、左手でやったが、水平飛行に移った時には、木々の枝が見分けられるくらいの超低空だった。  その高度を保ったまま、笠倉の飛燕は、山稜のすき間に飛び込んだ。  追跡するP51たちに、初めてためらいが生じた。高速で飛ぶ航空機にとって、山は鬼門だ。ほんのわずかでも操縦を誤れば、たちまち山肌に衝突することになる。 「――たのむから、()ってくれよ!」  被弾した愛機を励まし、笠倉は足元の方向舵を操る。風防ガラスの外の風景が、恐ろしい速度で飛び去っていく。自分の操縦技術にある程度の自信はあるが、緊張で胃がねじくれそうだ。  それ以前に、肩の傷口から締めつけられるような痛みが、広がってきていた。  いっそ何もかも、投げ出して楽になりたいーーそんな誘惑にかられる。  けれども、それは笠倉の矜持が許さなかった。  諦めて、潔く死ぬことなど、くそくらえだ。格好が悪くても、ぶざまでも、死のふちの一歩手前で、それを全力で拒んで逃げ続ける気でいた。  P51は、生意気なツバメを山中で追い回すのを一時、諦めたらしい。  その代わり、トンビのように上空を旋回し、笠倉の飛燕が上昇してくるのを、待ちかまえている。 ――こうなったら、我慢くらべだ。  どのみちこの傷では、再度、黒木たちと合流して、戦闘を継続するのは無理だ。それどころか、自分の身体がいつまで持ちこたえるか、全く予想がつかない。  眩暈がする。視界が狭まってきている。前に、腹を撃たれた時と同じだ。  なるべく早く、どこかの飛行場に降りないと、確実に死ぬ。  P51たちが帰りの燃料不足を恐れて、早々に硫黄島へ引き返してくれるのを待つしかなかった。

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