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第17章㉒

 痛みに耐え、飛燕を操りながら、笠倉は後ろを振り返る。どんな状況でも、後方の警戒は怠らない。戦闘機乗りとして身につけた、第二の本能のようなものだ。  だからこそ、いち早く気づいた。  一機のP51が果敢にも低空へ降りてきて、笠倉の飛燕に背後から食らいつこうとしていた。  その機首に骸骨が描かれているのを目にし、笠倉は慄然となった。今の状況には、あまりに不吉すぎる。  笠倉は迷うことなく、全力逃走を選んだ。山の稜線に沿って、そこをなめるように飛ぶ。 P51の搭乗員が、自分の身の安全を優先して、追跡を断念してくれることを期待した。  ところが、骸骨の姿はまるで糸で引っ張られるかのように、飛燕の後ろをぴたりと追尾してきた。 「やばい、やばい…!」  今回、交戦した米軍のパイロットたちは、どれも平均を凌駕する技量の持ち主だった。だが、その強者たちの中でも、今、笠倉の背後を飛ぶP51は、頭二つ三つ飛び抜けている。  このままでは振り切れない――!  骸骨が描かれたP51のパイロット――ヴィンセント・E ・グラハム少佐の内心は、怒りに満ちていた。このトニー(飛燕)の操縦者は、例の「月と花」のマークを持つパイロットではない。それでも立て続けに、グラハムは部下を撃ち落とされた。それだけで、「絶対に生かしておけない」と思わせるのには十分だった。  その一方で、グラハムはトニー(飛燕)のパイロットに、賞賛の念を抱いていた。  こんな綱渡りめいた危険な飛行をこなせるパイロットは、アメリカ陸軍航空隊に何人もいない。少なくとも、グラハムたちの部下の中には。もし、彼らがあのトニー(飛燕)を深追いしていたら、グラハムの到着を待つまでもなく、新たな犠牲者を出していただろう。  そして、グラハムも、実はそれほど余裕があるわけでもなかった。  燃料計の数値を読み取る。もうまもなく時間切れだ。再び上空に戻り、B 29に合流しなければ硫黄島へ戻れない。グラハムは部下たちを無事、帰還させる責務を負っている。敵への報復を優先して、彼らを太平洋に水没させるわけにはいかなかった。  グラハムは勝負に出た。山肌に激突するリスクが高まるのを承知で加速する。  トニー(飛燕)との距離が、目に見えて縮まる。そのまま、射程圏内に入るという時だった。照準器内にいた敵機の姿が、突然、消えた。  グラハムは反射的に、上昇したのかと考えた。上空には、彼の部下たちが待ちかまえている。その包囲網は、易々と突破できるものではない。  しかし、上にトニーの姿はなかった。愛機を横転させたグラハムは、機影をある場所に見出し、思わず目を疑った。  前下方に、トニーが飛んでいた。  地上までの距離は、二十メートルもない。その高さを維持したまま、逃げ続けていた。さすがに、これを追うのは無謀すぎる。失速すれば、そのまま恐怖を覚える間もなく墜落だ。  グラハムは決断した。横転した状態のまま、勘を頼りに、トニーの逃走路を予想する。  そのまま、見越し角で機銃を撃った。  撃った後、グラハムは操縦桿を上げて、直ちに上昇にうつった。なめらかな曲線を持つ風防ごしに、トニーの行方を見つめる。  確かに、命中した手応えがあった。  

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