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第18章① 一九四七年八月

 夢を見て、うなされていた。それは確かだ。けれども起きると同時に、何の夢か忘れてしまった。  目を開け、心配そうにこちらをのぞき込む千代の顔を見て、(あずま)はただちに現実に引き戻された。 「おかげんが悪いんですか? ずいぶん、寝苦しそうな様子でしたけど…」  それを聞いて、反射的に腹を立てた。  東にとって、今一番の悩みの種は千代の存在そのものだ。  彼女さえいなければ、ここまで来る道のりはもう少し楽になった。少なくとも、昨日の夕方には目的地にたどり着いて、今よりマシな寝床で眠れたはずだ。  しかし、こちらを気遣う様子の千代を見ていると、怒りを持ち続けるのは難しかった。  ため息をつき、東は千代の差し出す手に触れる。すでに明るくなっているが、足元は岩や石ころだらけで、字を書くのには適していなかった。 〈ソ・チ・ラ・コ・ソ・ダ・イ・ジ・ョ・ウ・ブ・カ?〉  書き終えた文字を理解し、千代は口をとがらした。 「寝たのに、まだ足がむくんでますよ」  東が女に不満を抱いているように、千代も自分をここまで連れてきた青年に、少なからず不満を抱いていた。  お互いやむを得ない状況に追い込まれて、旅をしているとしても、だ。 「…でも、もう近くまで来ているはずですよね。じきに着くのでしょう?」  千代のその問いに対し、東は答えを書かなかった。立ち上がって腰を伸ばし、連日の疲れの残滓と覚えていない悪夢の名残を振り落とす。それから、荷物をあさって、千代と共に簡単な朝食をとった。  食べている間、千代は静かだった。東も黙々と、乾パンを水筒の水でふやかして口に運ぶ。やわらかくしないと、傷ついたのどをうまく通らないのだ。  まずい小麦粉の塊を、ゆっくり咀嚼しながら、東は千代の様子をうかがった。  田宮の屋敷から、千代は着の身着のままで逃げてきた。化粧はとうに落ちている。一晩、睡眠をとったものの、彼女が言うように完全に回復するには至らず、顔に疲れがのぞいている。  それでも、屋敷にいた時より、千代は明らかに生き生きとしていた。  連日の山登りで、疲れ以上に体が長いこと忘れていた活力を取り戻したようにさえ思えた。  以前、尽忠報国隊のメンバーが田宮の屋敷で酒を振る舞われた時、その一人が膳を運んできた千代に、酔った勢いで戯れかけたことがあった。  酔漢にまとわりつかれ、千代は愛想笑いを浮かべて、縮こまっていた。そんな妻と客のやり取りに、田宮は憎々しげな顔つきを隠さなかった。今にして思えば、あれは嫉妬だったのだろう。それは、不用意な発言をした客だけでなく、その対象となった千代にも向けられていた…。  当時、その場に居合わせた東は、取り立てて何も思わなかった。  ただ、千代が二十八歳で、田宮より二回り近く若いと知った時、ささやかなことに気づいただけだ。  戦死した笠倉が生まれた年は千代と同じで、生きていれば、やはり二十八になっていたと――。  

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