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第18章②

 まもなく、東は味気ない朝食を終える。千代も、すでに食べ終えていた。  立ち上がった東は、身振りで出発することを伝える。しかし、千代は石の上に座り込んだまま、動かなかった。 「…東さん。いいかげん、やめにしませんか?」  石の縁をぎゅっとつかんで、千代は東の方を見上げた。 「天皇を誘拐するなんて、絶対に上手くいくはずがないわ。あなたは、まだお若い。長い人生、これからでしょう? こんな愚かなことをして、人生を棒に振るのはだめですよ…ーー」 ーーせっかく生きて帰って来られたのにーー  その言葉を聞いて、東はのどのあたりが熱くなった。  千代をにらみ、彼女に近づく。その瞬間は、千代を黙らせるためなら、平手打ちの一つでも食らわせるつもりだった。  だが、彼女はおびえながらも、東から目をそらさなかった。たしなめるような表情が、母親や姉を思い出させる。すぐに気勢を削がれ、怒りもしぼんでしまった。  自分の気持ちを持て余した東は、どうとでもなれと、半ばやけくそ気味に背を向けた。 「え……? ちょっと、どこに行くの!?」  千代が呼び止める声を無視し、東は山道を登り出した。  千代の存在に、東は辟易した。もう限界だ。逃げるなら、逃げればいい。  仮に警察なり、G H Qなりに駆け込むとしても、彼女の足では今日中には無理だろう。  警官やアメリカ人どもが、あの場所へ辿り着く頃には、全てが終わっている……終わっているはずだ。  しばらく歩いたところで、東は振り返った。先ほど、乾パンを食べていた場所を眺めると、千代の姿がなかった。  さっそく逃げたのか、と思っていたら、 「待ってー!!」  必死な叫び声と共に、千代が山道の向こうから姿を現した。 「置いていかないで! こんな右も左も分からない山の中に放り出すなんて、あんまりですよ! もし遭難でもしたら、私、化けて出ますからね!!」  東はうんざりした。それでも、放り出しかけた相手が、自分のところまで上がってくるのを待ってやった。  その間に、千代の先ほどの言葉が、頭の中で繰り返された。なぜだろう。似たようなことを、前にも言われた気がする……。  ややあって、発言者に思い当たった東は、再び苛立ちを募らせた。 ――どんな結末を迎えても。生きのびられたら、上々だよ。お前、まだ十九だろう。どう考えても、戦争終わった後の人生の方が、長いだろうが――  東より長生きすると豪語していたのに、あっけなく先に逝った男。 「………」  息を切らせて、千代が登ってくる。  東は、いっそ何もかも、彼女にぶちまけてしまおうかという気になる。  東や仲間たちが、本当はこれから何をしようとしているかを。  自分に長い人生なんて、存在しない。今、生きていること自体がおかしいのだ。  本当は、とっくの昔に死んでいるべきだった。  若くしてこの世を去った少年飛行学校の同輩たちのように。米田一郎のように。  散っていった「はなどり隊」の者たちのように。工藤克吉少尉や、笠倉孝曹長や、そして……。  東は首を振る。千代がどういう反応を見せるか読めず、結局打ち明けるのはやめた。  そうするかわりに、彼女が悪路を上がれるよう、手を貸してやった。

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