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第18章⑤

 金蘭洙が特攻に行き、死亡したことは、すでにクリアウォーターたちもつかんでいた。  クリアウォーターは持参した「やまと新聞」のコピーをカバンから出し、韓の前に置いた。 「二年前の六月だったそうですね。あなたも、新聞記事でそのことを知ったのですか?」 「私自身、新聞は読んでいません。ただ、それを読んだ同胞から教えてもらいました」  韓は嘆息した。 「…今から思えば。蘭洙が飛行学校に合格したことが、全ての不幸の始まりでした。もしも不合格だったら、今頃、蘭洙だけじゃなく、哲基も光洙もまだ生きていたでしょうに」 「なぜ、そのように考えるのです?」  クリアウォーターが尋ねる。韓はすぐに答えず、迷うそぶりを見せた。だが、長く待つまでもなく、クリアウォーターに打ち明けた。 「先ほど申したように、蘭洙と光洙はとても仲の良い兄弟で、互いに足りない部分を補い合っていました。しかし、蘭洙が飛行学校の試験に合格したあたりから、他人から見ても分かるくらいに、二人の仲は険悪になっていきましたーー兄の光洙は、朝鮮の独立を望む愛国者だった。けれども弟の蘭洙は、朝鮮を抑圧し、支配する日本の軍人になる道を選んだ。光洙にとって、蘭洙が日本の軍人になると決めたことは、これ以上ないくらい最悪の出来事だった。弟を拒絶しても、不思議ではないでしょう? …光洙は、一番信頼していた弟に、裏切られたと思ったんでしょう。生前、金哲基が私に話してくれたんですが、蘭洙が街を出て行った後、光洙はいよいよ思いつめるようになっていったそうです。ついに、金哲基の家を飛び出して行方をくらました――」  韓はさらに朝鮮語で続けたが、父親の言葉を聞いた文葵が、途中で驚いたように目を見開いた。 「アボジ(父さん)!」  それまで穏やかだった文葵が怒った顔になり、朝鮮語で猛然とまくし立てる。驚くクリアウォーターとカトウの前で、父子の言葉の応酬が続く。しばらくして、文葵は諦めたように首を振った。 「――すみません」  謝罪の言葉は、二人のアメリカ軍人に向けられたものだ。 「光洙先生が亡くなったことを、父が(けな)したので、つい…」 「お父さんは、なんと言ったんですか?」 「…先生の死を『自暴自棄な死に方』だ、と」 「あなたはそう思っていないんですか?」 「当たり前です! 光洙先生は我々の誇りです」  文葵は断言した。 「先生は、自分の命をかけて日本人に抵抗した。朝鮮民族の英雄ですよ」  熱く主張する文葵と対照的に、父親の韓は冷めた表情だ。しかし、口に出して息子に何か言うことはなかった。文葵はさらに言った。 「俺に言わせれば、むしろ蘭洙オンニ(兄貴)こそ、ろくでもない死に方をしたと思います。特攻隊に志願するなんて…日本にそこまで忠義立てすることなんてなかったんだ。お父上がわざわざ朝鮮から来て、生きて帰ってくれと懇願したのに。結局、お父上のその願いも裏切ることになった」 「…失礼。今の話ですが、金蘭洙の父親が、朝鮮から東京に来たんですか? それは、いつのことです?」 「日本が負けた年の三月です。お父上の旻基(ミンギ)どのが大阪に寄って、うちに泊まったんです。日本語が全く話せない方で、年も年だったから、父が俺に東京にいる蘭洙オンニ(兄貴)のところまでついていくように命じたんです」  それは、先日行われた尋問では出てこなかった情報だった。 「ということは、文葵さん。あなたは直接、金蘭洙にも会ったんですか?」 「ええ。調布飛行場というところまで行ったら、なんとか会えました。その日も、昼間は飛行機で出撃していて、実際に会えたのは夕方になってからでした。お父上はその日、飛行場に泊まって、次の日にはそこを発ちました。結局、あれが蘭洙オンニ(兄貴)との最後の別れになってしまったわけですが…」 「お二人に、見てもらいたいものがあります」  クリアウォーターは再びカバンに手を入れ、何枚かの紙を取り出した。  そこに描かれていたのは、文字ではなく若い男の肖像だった。ヒゲをたくわえたものから、髪を坊主刈りにしたもの、さらに帽子や眼鏡を着用した姿もある。  クリアウォーターが、韓父子に言った。 「我々が追っている男です」 「この人物が、監獄でアメリカ兵を殺したんですか?」 「ーーその通りです。どうです? 金蘭洙と似ていませんか?」  二人はしばらくの間、数枚の肖像画をじっと見入った。  やがて文葵が顔を上げ、きっぱりと言い放った。 「違います。蘭洙オンニ(兄貴)じゃない。全くの別人です」

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