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第18章⑥

 クリアウォーターは、韓にも再度、尋ねた。しかし父親の反応も、心許ないものだった。 「私が蘭洙を最後に見たのは、十年も前です。この似顔絵が似ているかどうかは、断言できかねます」 「念のためにお聞きしますが、金蘭洙の写真は残っていないんですね?」 「はい。我々にとって、写真は日本人ほど気軽に撮れるものではありませんので」 「つい最近、光洙先生の写真がどこかに残っていないか、街の人間で探したことがありましたが、結局見つかりませんでした」  父子の話を聞いて、クリアウォーターはフェルミ伍長を連れてこなかったことを悔いた。  証言から人物を描くことにおいて、フェルミは非凡な才能を有する青年だ。文葵の記憶を掘り起こし、飛行兵であった頃の金蘭洙の姿を描くことができたかもしれない。  およそ二時間かけて、クリアウォーターは予定の尋問を終えた。その頃には昼時ということもあり、食堂の一階は早めの昼食を取りにきた客たちで、半分ほど席が埋まっていた。  客の男たちは、韓父子に続いて降りてきたクリアウォーターたちに、あからさまな視線を向けた。クリアウォーターに向ける目はまだ好奇のそれだが、カトウに気づいた何人かは、不審げに「イルポニン(日本人)」と連呼した。韓が朝鮮語で何か言うと、彼らはしぶしぶといった態でめいめいの食事に戻った。  食堂を出た後、韓とその息子は、二人のアメリカ軍人を街の一角へと連れて行った。  そこには、壁がなく、屋根と柱だけの建物が立っていた。戦後に建てられたようで、まだ真新しい。遠目には腰を下ろして休息し、おしゃべりをするためのあずまやにも見える。しかし。クリアウォーターたちが近づいていくと、香りを含んだ白い線香の煙が漂ってきた。  その煙の向こうに、瑞々しい花が供えられた石柱が立っている。  石の正面には、「金光洙義士之碑」と刻まれていた。 「光洙先生を(まつ)る祠です」  持参した線香をささげた後、文葵がクリアウォーターたちに言った。 「先生の遺骨は愛国の有志たちの手で京城(ソウル)に運ばれて、そこに墓も建てられました。でも、この街で過ごされた時期も短くなかったので、ここに記念碑を立てて祀っているんです」  息子の横で、韓が何事かつぶやく。文葵は、またムッとした顔つきになった。  息子が翻訳するつもりがないと見てとった韓は、自ら、たどたどしい日本語で語った。 「本人の骨かどうか、分からない」 「…京城(ソウル)に運ばれた遺骨が、金光洙本人のものではないかもしれない、ということですか?」 「そうだ」  韓はうなずく。 「光洙の骨は、もともと東京にあった。墓石には、名前も何も書いてはなかった。ただ、墓地を管理する寺の和尚が、そこに埋められたと言っただけでーー別人の骨だったとしても、おかしくない」  韓が、石碑に向けた目は冷めていた。 「…十年前。光洙は、特高警察に捕まった。痛めつけられ、ひどい傷を負った。家まで戻れずに、道で倒れた。彼を助けようとする人間はいなかった。誰一人、助けなかった。誰もが特高に目をつけられることを恐れていた…」 「あなたも、その内の一人だったと?」 「…文葵は、行こうとした。けれども、私が止めた。結局、蘭洙が来るまで、光洙は倒れたまま放置された」  韓のそばで、その息子はうつむいた。当時のことを思い出して、申し訳なさや恥ずかしさを感じているようだった。  その時、韓の目の奥に、同じ色の光があることをクリアウォーターは認めた。  最後に韓がつぶやいた言葉を、文葵が訳した。 「あの祠がある限り、光洙は英雄として語り継がれていくだろう。しかしその(かげ)で、私たちが彼にした仕打ちは、なかった事のように忘れ去られていく。苦い真実が消え去り、美しい虚像だけが輝き続けることが、果たして本当にいいことなのか……」

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