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第18章⑦

 韓父子と別れた後、クリアウォーターはカトウと共に一度、宿泊している市内のホテルへ戻った。そこは、朝鮮人が集住する地区のほぼ真西に位置していた。  ホテルは重厚な鉄筋コンクリート造りで、元々は、百貨店として建てられた建築物である。度重なる空襲にも耐えたたため、戦後、上層階部分をGHQが接収し、占領軍人のための宿泊拠点として活用していた。 「ーー午後の尋問は、二時からの予定です」  エレベーターを降り、絨毯の敷きつめられた廊下を歩きながら、カトウがクリアウォーターに言う。二人はすぐに、泊まっている部屋の前に来た。  クリアウォーターは部屋の鍵を開けながら、さりげなさを装って尋ねた。 「昼食だけど、どうだろう? 一緒に…」 「一時には、部屋で待機していますので」  上官の言葉を、カトウは問答無用でさえぎった。そのまま、クリアウォーターの顔も見ずに、一礼してきびすを返す。とりつく島もない。  日系二世の軍曹は、早足で今しがた乗ってきたエレベーターの方へと向かう。  クリアウォーターはカバンをベッドに放ると、急いでドアを施錠し、部下のあとを追った。  エレベーターの扉が閉まる直前、クリアウォーターはカトウに追いついた。閉まりかける扉を、強引に手で押さえる。カトウは一瞬、驚いた顔になったが、すぐに冷ややかな仏頂面に戻った。 「…まだ何か、ご用ですか?」 「機会をくれないか?」 「何の?」 「謝罪と、赦しを乞う機会だ。あんなことは、二度としないと誓うから…」 「一度だけで、もう十分、許容範囲を超えています」  絶句する赤毛の少佐から、カトウは顔を背ける。 「――お願いですから。一人になる時間をください。じゃないと、午後の尋問に差しさわりが出そうなので」  互いの間に、沈黙が落ちる。  クリアウォーターはうなだれて、手をひいた。扉が閉まる。  最後まで、カトウは恋人の方を見ることはなかった。  閉ざされたエレベーターの前で、クリアウォーターはため息をついた。  昨日の――というより今日の深夜にホテルに着いて以来、カトウはずっとあの調子だった。  クリアウォーターと最低限しか口をきかず、分厚い拒絶の壁を崩していない。ろくに目も合わせないし、やむなくそうする時も、少佐に向ける視線の温度は氷点下を軽々と下回っていた。  睡眠を取って、起きたら少しは態度が軟化するかと、クリアウォーターは淡い期待を抱いていた。しかし、全くそんなことはなかった。  それでも、カトウは自分に課せられた通訳の役目だけは、きちんと果たした。評価して、しかるべきだろう。  今さらながら、クリアウォーターはエイモス・ウィンズロウ大尉のことを呪った。  出発間際に、ウィンズロウがやらかした軽率な行為のせいで、クリアウォーターは大切な恋人に、不貞の烙印を押されてしまった。自由恋愛主義者の元恋人を前にして、隙を見せたクリアウォーターにも、非がなかったわけでもないが…。  おまけに、麦わら色の髪の大尉は、夜中の三時というどう考えても不適切な時間に、クリアウォーターたちが泊まるホテルの部屋に、電話をかけてきた。電話を取ったのはカトウだが、すぐに怒りも露わに切ってしまった。  何を言われたか、カトウは話さなかった。クリアウォーターも、あえて恋人の怒りに火を注いでまで、聞き出そうとはしなかった。大事な用ならまたかけてくるだろうし、そうでないなら、これ以上付き合う必要はない。  クリアウォーターは額に手をやり、首を振った。  カトウがいつ、赤毛の恋人を許すかは、カトウ自身に決定権がある。クリアウォーターにできることは、その時まで、ひたすら頭を垂れて懺悔するだけだ。  一瞬、許してもらえる日が永遠に来ないのではという、不吉な予感に囚われたが、それは強引に意識の外へ追いやった。  クリアウォーターは、腕時計に目をやった。カトウが戻ってくる頃までに、昼食を済ませておかねばならない。寂しく一人で。  食べながら、せめて資料を確認しようかと考えたが、すぐに思い直す。どのみち、午後の尋問開始まで、あまり時間がない。  クリアウォーターは部屋に戻るのはやめにして、上がってきたエレベーターに乗り込んだ。  そのまま、下の階にあるレストランへと向かった。  ……クリアウォーターも、カトウも知らない。  無人となったはずの彼らの部屋で、恐るべき異変が起こっていた。  クリアウォーターが、カバンを置いたベッド。  その下から、ゆっくりと人間の手が現れた。  ずるずると這い出してきたのは、若い男だった。清掃され、髪の毛の一本も落ちていないカーペットの上で立ち上がる。男は腕を回して、硬くなった筋肉をほぐした。  その姿をカトウが見たら、即、腰の拳銃を抜いたことだろう。ひげのない寝不足気味の顔は、U機関のお抱え絵師、フェルミ伍長が想像で描いた似顔絵の一枚に、酷似していた。  カナモト・イサミは、潜んでいた間に乾いた喉を潤すべく、洗面所へと向かった。

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