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第18章⑫

 レストランの席で、クリアウォーターはコーヒーカップを前に午前中の尋問を振り返っていた。  韓廷鐘が語った少年期の金蘭洙――金本勇は、身体能力が高く、時に容赦なく暴力的になれる一面を持っていた。その人物像は、巣鴨プリズンで目にしたカナモト・イサミの姿と一致する。  しかし、韓の息子の文葵は、フェルミが描いた似顔絵を見て言った。似顔絵の男は、金蘭洙ではないと。韓文葵は二年前、金本勇に直接、会っている。その証言は信用度が高く、無視するわけにはいかない。  もっとも、韓の息子が同胞である金本をかばって、嘘をついた可能性も捨てきれない。似顔絵を見た時の反応からは、それはあり得ないように思えたが…。  牧師になりすましていた殺人鬼は、本当に金本勇曹長なのか。それとも--。 ――……仮に別人だと仮定して。それなら、なぜ金本勇の名前を使った?  「カナモト・イサミ」は、金本を過酷な戦場に追いやって死なせようとした人間たちを殺害し、その現場に「丹心歌」を書き残していった。  あたかも、金本本人が復讐を遂行しているかのように--そこに、矛盾が生じる。 --金本のために復讐を果たそうとしている人間がいたとして、なぜ、死者に殺人者の汚名を着せる必要がある? あるいは、金本勇すら憎しみの対象なのか?  奇妙なことに、証言や手がかりが増えるほどに、謎がさらに深まり、複雑さを増していくように思えた。  クリアウォーターは肩をすくめ、冷めたコーヒーを口に含んだ。 ――最後に落ち着いた気持ちで食事ができたのは、一体いつだったかな…。  巣鴨プリズンでカナモト・イサミが起こした殺人と、その後の逃亡劇が事件の様相を一変させた。その直前に、クリアウォーターはカトウと一緒に昼食をとった。思い返せば、あの食事の席が、ゆっくりできた最後の機会だった…。  その直後、クリアウォーターは緑色の瞳をみはった。  事件後、あまりに多くの情報が渦巻いたせいで、記憶の底に沈んでいた出来事が、不意にフラッシュバックした。  一人の男が、血まみれで地面に倒れ伏している。カナモトの放った銃弾で瀕死の傷を負った元憲兵、甲本貴助。彼が、クリアウォーターに向かって残した言葉がよみがえった。 ――あの牧師はカナモト…イサミ……やつの名前……人だ--  クリアウォーターはコーヒーカップをソーサーに叩きつけた。破損こそしなかったが、すぐそばにいたウェイターと客が、音のした方を何事かと振り返る。  クリアウォーターは彼らのことなど、眼にも入らなかった。勢いよく立ち上がり、赤毛をかきむしった。 「ああ、くそ! どうして気づかなかった?」  まだ仮説の域を出ない。けれども、クリアウォーターは半ば確信した。  甲本が死の淵にあって、意地でも伝えようとした事実が、何だったかを。  クリアウォーターは金を払ってレストランを飛び出すと、自分の考えを裏づけるために、急いで電話をかけに行った。  カトウがホテルへ戻ると、フロントの前にクリアウォーターがいた。電話をかけている。  カトウは形だけはきちんとした敬礼をすると、少し離れたところでフロントマンから預けておいた部屋の鍵を受け取った。クリアウォーターの手元には、尋問の時に持ち歩いているカバンがない。まだ、部屋に置いたままなのだろう。 「…カバン、上から持ってきますね」  カトウはそれだけ言うと、上官の返事も聞かずに、そそくさとエレベーターへ向かった。  昇降機の前では、ちょうどホテルの従業員らしい、つなぎを着た人間たちがたむろしていた。エレベーターが到着すると、カトウと一緒に乗り込む。そのまま、同じ階で降りた。  カトウは特に警戒することもなく、宿泊している部屋のドアに鍵を差し込んだ。  中に足を踏み入れた瞬間、カトウは微かな違和感を覚えた。

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