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第19章① 一九四五年四月

 ーー硫黄島。南飛行場ーー。  エイモス・ウィンズロウ大尉は、飛行場を見下ろす丘の上に立っていた。  上空から、航空機のエンジンが奏でる轟音が、徐々に近づいてくる。ウィンズロウが立つ場所から二十メートルも離れていないところには、日本兵の残党による奇襲を警戒するアメリカ陸軍の兵士たちが、小銃を手に歩哨に立っていた。  彼らにとって、飛行機のエンジンはどれも同じに聞こえるらしい。しかし、夜間爆撃戦闘機P-61のパイロットであるウィンズロウの耳には、大型爆撃機B-29が積むライトR-3350と陸軍の最新鋭戦闘機P-51のマリーン・エンジンとでは、声楽のバスとソプラノくらいの違いがある。この時、硫黄島に近づいてきていたのは、その混声合唱団だった。  ウィンズロウが眺める先で、まず「超空の要塞(スーパーフォレスト)」B-29が降下してきた。硫黄島の滑走路は、通常の飛行場と比べてかなり短い。オーバーランする事故も、すでに複数、発生している。  しかしこの時、降りてきたB-29たちは、地面に突っ込むこともなく無事に着地した。その数、五機。残りは硫黄島の上空を、そのまま通過していった。  向かう先は、さらに南千キロの洋上にあるサイパン島である。硫黄島に降りてきたのは、損傷したり、あるいは燃料不足で、サイパンまで辿り着くのが危ういと懸念された機体だった。  着陸した大型爆撃機は、先生の指示を素直に聞く幼児のように、地上勤務者たちの誘導で、手際よく駐機場へと移動していく。  その後で、上空を旋回していたP-51たちが、銀翼を煌めかせながら降りてきた。B-29に比べてはるかに数が多い。硫黄島が、現在の彼らの基地だからだ。  30機を数える編隊の最後の一機が無事、着陸するのを見届け、ウィンズロウは駐機場へ足を向けた。目的の機体は、降りてきた時点ですでに見つけていた。  チャーリー・スミス――本名スザンナ・ミシェル・クリアウォーターが原作・作画をつとめる『ブラック・トルネード』のキャラクター。「骸骨神父(スケルトン・ファーザー)」が描かれたP-51Dは、駐機場の中ほどに収まっていた。  ウィンズロウがやって来た時、パイロットはまだ操縦席の中にいた。しかし、近づいてくる麦わら色の髪の大尉に気づくと、笑みを浮かべて手を振った。 「やあ、ウィンズロウ大尉」  P51から編成される戦闘機隊を率いるパイロット。ヴィンセント・E・グラハム少佐は、安全ベルトを外すと、軽やかな動作で地面に降り立った。  ウィンズロウが寝泊まりするテントに、グラハムは招かれた。  ここがまだ落ち着いて話ができるから、というのが理由だ。すでに組織的な戦闘が終結し、アメリカ軍が島の大半を占領したとはいえ、いまだ島内の至るところに、日本兵がひそんでいる。その数は数百とも千を超えるとも言われているが、正確な数は誰にも分からない。戦闘で大損害を出した海兵隊に代わって、今では陸軍の歩兵部隊が掃討を進めていた。  砂埃の舞う「室内」を見渡し、ウィンズロウはわざとらしく嘆いた。 「開戦以来、あちこち転々としてきたけど。ここが、今までで一番ひどい宿舎ね」 「同感だ。だけど、戦時だ。ホテルのようにといかないのは、仕方がないさ」 「そうは言うけど。あなたは平気なの、少佐さん?」 「幸い、枕が変わっても寝られる体質でね。来て二日で、慣れて熟睡できるようになった」 「…それ、枕うんぬん以前の問題だと思うわ」  鈍感ね、と評されて、グラハムは苦笑するほかなかった。  その反応にウィンズロウは肩をすくめ、ベッドの枕元にかがみ込んだ。  自作したか、はたまたどこかから拾ってきたのだろう。地面に直接、置かれた小さな棚から、ウィスキーの瓶とブリキ製の小さなコップを二つ取り出すと、一つをグラハムの方へ差し出した。 「久しぶりに会えたんだから、まずは乾杯しましょ。もっとも、ワタシは形だけだけど」 「今晩、飛ぶのかい?」 「そう」  瓶を傾けながら、ウィンズロウはうなずいた。突飛な言動でしょっちゅう周囲の顰蹙を買う男だが、飛行前は慎重なくらいに酒を控える。グラハムはウィンズロウと長い付き合いとは言えないが、そのことだけは知っていた。 「では、お互いに無事に再会できたことを祝して。あとは…先週亡くなった、我らが大統領に捧げましょうか」 「賛成」  互いのコップを、カチっと合わせる。グラハムが琥珀色の液体を口に含むと、たちまちそれが喉を焼いた。身体に広がっていく熱を味わいながら、グラハムは言った。 「私は共和党支持者だが、ルーズベルトは間違いなく偉大な大統領だった。戦争の終結を見ずにこの世を去ったのが、残念でならないよ」 「今ごろ、ドイツや日本は小躍りしてるでしょうね」  ひとしきり話した後、ウィンズロウは口をつけていないコップをグラハムへ手渡した。  それから、ベッド下の帆布のリュックから、防水紙に包まれた紙の束を取り出した。 「テニアン島を発つ前に、タイプライターを借りて打っておいて正解だったわ。ここじゃ、机をひとつ手に入れるのだって、難しいもの。その辺で一晩の相手を探す方が、よっぽど簡単」  同性愛者である大尉のジョークを耳にした妻子持ちの少佐は、もっとも賢明な反応をした。  その部分だけ、聞こえなかったものとして、会話を続けたのである。 「先を見越す力は、君の方が上だな。私の手元には手書きのメモが、この二週間たまる一方だよ」 「…それで、どうだった? 日本上空を飛んだ感想は?」 「最初の日が、いちばん印象深かった」  グラハムは片方のコップの中身を飲み干すと、ウィンズロウに語り始めた。

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