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第19章②

 B29を援護して東京上空へ達したその日、グラハムは初めてアメリカの陸海軍のパイロットたちが噂する性悪トニー(飛燕)の集団に遭遇した。その時の光景は、細部まで記憶している。操縦技量が未熟な者を含みながらも、よく統率が取れていた。  そして会敵した瞬間、グラハムは彼らの中に「花と月」を尾翼に描いた戦闘機を発見した。その時、湧いてきた興奮は、伝説の財宝を見つけた探検家のそれに近かった…。 「――それで。墜とせたの? その噂のトニー(飛燕)は」 「残念ながら、まともに交戦するチャンスがなかった」  グラハムの横顔がしぶくなる。それを見たウィンズロウは、まるで憧れの相手につれなくされた少年みたい、と思った。 「油断した味方機が、別のトニー(飛燕)に立て続けに撃墜されたんだ。そのパイロットを追い込んでいる内に、時間切れになった」  グラハムはその時の顛末を、事細かに説明した。  トニー(飛燕)とグラハムのP-51は、山の稜線ギリギリのところを紙一重で飛び続けた。グラハムは撃墜の一歩手前まで相手を追いつめたが、最後に川面に見事な着水を決められ、見逃すことにした、と…。  ひとしきり話した後で、グラハムはたずねた。 「そちらの方はどうだった、大尉? 君もすでに、九州に飛んだと聞いているが」 「ワタシ? うーん、そうね。あなたほど、心躍る体験はまだないかしら。ヒヤリとする場面なら、あったけど…」  ウィンズロウは喫っていたタバコの灰を、灰皿がわりに使っている空き缶に落とす。  それから、煙と共にため息を吐いた。 「…いつまで続くのかしらね、この戦争」 「そうだな。これから東京や日本の主要な都市を占領するのなら、少なくとも一年やそこらでは終わらないだろう」  グラハムはコップに残っているウィスキーを口に含む。 「我々が今いるこの小さな島ですら、占領するのに一ヶ月以上かかった。当初は、一週間ほどで済むと、考えられていたのにだ。私は空中戦が専門で、陸上での戦いには疎いが……仮に、日本軍が硫黄島で取ったような戦法を、本土でも行うようならーーこの先、何年も抵抗を続けるかもしれない」 「ゾッとするわね。終わりの見えない戦いに、引きずり込まれていくのは」 「…」 「ねえ、黒髪の少佐さん。これ、愚痴として聞き流してほしいんだけど。ワタシ、最近、文明的な生活が、無性に恋しくなる時があるの――平和だった頃の退屈な生活が」  ウィンズロウの言葉に、グラハムは意外そうな表情を浮かべた。 「失望しちゃった? でも、それが偽らざる本音。あなたはどうなの? 奥さんや子どもと会えなくて、寂しい?」  その問いに、グラハムは即答できなかった。  去年の暮れや、あるいは年が明けたばかりの頃だったら、妻子のことを思い出さない日はなかっただろう。  しかし今は?――硫黄島へ降り立ってから、あるいはその少し前から、グラハムは自分の心が無自覚に変化していたことに気づかされた。  妻や子どものことを考える時間が、明らかに減っていた。  否。白状すれば、この一週間ほど、ほとんど思い出すことさえなかった。  頭にあるのは、日本の航空隊のパイロットたちのこと。そして、この先、何度も繰り広げられるであろう、彼らとの戦闘のことばかりだった。  そのことに気づいて、グラハムは短い間、自失していた。  だからだろう。ウィンズロウになんと言われたか、最初わからなかった。 「――ねえ、少佐さん。いっぺん、ワタシと寝てみない?」

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