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第19章⑤
四月下旬のその日。調布飛行場の滑走路にめずらしく、陽性の活気が漂っていた。
はなどり隊の搭乗員たちに混じり、黒木は滑走路脇に立って、雲の漂う空を見上げていた。二機の戦闘機が、先ほど離陸したばかりだった。
ほどなく、手元の無線機から彼らが高度三千メートルに達したと報告が入る。
雲を横切る機影を目で追いつつ、黒木は言った。
〈ーー機体の具合はどうだ? 蓮田少尉、金本曹長〉
雑音混じりに聞こえる発動機の音が、いつもと異なる。それもそのはず。今、蓮田と金本が操縦しているのは、胴体と翼こそ飛燕のそれだが、機首に積まれているのは液冷エンジンではなく、星形空冷エンジンである。立川から昨日、届けられたその戦闘機は、「飛燕」や他の戦闘機が持つような通名もまだ決まっておらず、ただ「キ100」と呼ばれていた。
蓮田と金本は、届いたばかりの機体のテスト飛行を行っていた。
相次ぐ空襲により、従来、飛燕に搭載されていた液冷エンジンの生産が追いつかなくなってきた。その結果、苦肉の策として、機体はそのまま、発動機だけまだ余力のある空冷エンジンに変更する決定が、つい先日、上層部で下されたのである。
新たに誕生した戦闘機「キ100」は、完成前の様々な予想をいい方向で裏切った。別の場所で実施されたテスト飛行の結果を、黒木はすでに耳にしていたが、運動性能や扱いやすさについて、いずれも評価がかなり高かった。
調布飛行場に配備されると聞いた時、黒木は自分で真っ先に飛ばしたいと思った。しかし、戦隊長から許可が下りず、かわりに蓮田と金本が初飛行の栄誉をおおせつかった次第だった。
……黒木の問いに、金本がまず答えを返す。
〈問題ありません〉
それにかぶせるように、蓮田の声がした。
〈俺は、こちらの機体の方が性に合いそうです。動かしやすい。飛燕の旋回性能も悪くなかったが、実感で、こちらの方が格段に旋回しやすくなっている――〉
地上で聞く黒木は、にやりとした。
蓮田は無頼漢めいた外貌と裏腹に、戦隊では金本についで、総飛行時間が長い経験豊富な搭乗員だ。おまけに、説明も存外分かりやすい。
――蘭洙 のやつは、そこが下手だからな。
金本が優れた飛行技量を持つことを、戦隊全員が認めている。同時に、寡黙で説明が足りない場面が多々あるということも。
日本語が母語でないことを差し引いても、この朝鮮人の曹長はたいていの場合、口下手だった。黒木と二人きりの時は、まだ少し饒舌になるがーー。
一通り感想を述べた後、蓮田が言った。
〈どうです? 許可さえあれば、このまま模擬戦にうつれますが…〉
黒木は上空を飛ぶ二機に目を凝らす。前方を飛んでいるのが金本で、後ろに蓮田がいる。離れていても、飛び方の癖で、金本の操縦する機体はすぐに見分けられる。
蓮田の提案について、黒木は一瞬、そそられた。もしも、戦闘機を飛ばしているのが自分だったら、彼の思いつきに乗っただろう。
けれども、すぐに考えを改めた。
〈ーー今日の目的は、あくまで機体の性能をつかむための試験飛行だ。割り当てられた燃料も限りがある。確認が済んだら、下りてこい〉
〈…了解です〉
返事と裏腹に、無線ごしでも、蓮田の抱く不満が黒木には察せられた。
「らいちょう隊」に属すこの男が、金本を敵視していることに、黒木はすでに気づいている。はっきりした理由はつかんでいない。しかし、朝鮮人というだけで、気に食わないと思う人間は少なくない。かつて、「はなどり隊」の搭乗員たちもそうだった。
黒木は珍しく、なだめるように言った。
〈戦意旺盛なのはけっこうなことだ。しかし、それを向けるべきは、金本曹長ではなく、米軍のグラマンやP51だ。蓮田少尉。貴様の力は、その時までとっておけ〉
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