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第19章㉑
その日の直掩任務は、思いがけず夜に行われた。
早朝から雨が降っていたため、搭乗員の多くはこの日、出撃が中止になると思っていた。しかし午後になって、黒木たちに夕刻の出撃命令が下った。
「特攻機及び直掩機の誘導として、それぞれに九七式重爆撃機をつける。直掩部隊は、重爆に従い、帰還するように」
米軍側が少しでも発見しにくい夜間を狙い、特攻の成功率を上げる。それが、上層部の狙いであった。
残念ながら、作戦を立案した参謀たちの脳裏において、実行する側の苦労ーー夜に、しかも慣れぬ海上で、編隊を維持して飛ぶことの困難さーーは、最小限しか考慮されていなかった。
黒木は頭を痛めながらも、夜間出撃の任に耐えうる搭乗員を急いで選出した。「はなどり隊」から金本、今村を中心とした面々に、「らいちょう隊」の蓮田や、「べにひわ隊」の夜戦経験者を加えて、どうにか頭数をそろえる。
ーーいっそ中止にならないものか。
参謀たちを内心、呪詛しながら、黒木は密かに願った。しかし雨雲は去り、不吉なほど赤い夕焼けの中、一同は飛行場から離陸した。
日没後、一時間ほどが、もっとも緊張する時間帯だった。月がまだ出ておらず、明かりと言えば、編隊を組んで飛ぶ味方機が、排気口から吐き出す青白い炎くらいだ。その後、海上にやっと月が出たが、雲の残る空で、それも姿を隠しがちだった。
ようやく引き返す地点まで来て、機体を北へ回頭する時、金本は思いがけずほっとした。特攻機たちの運命が頭をよぎったが、それより自分たちが無事に帰れるかどうかの方が、当面の心配事だった。
金本は飛行服のポケットをそっと撫でた。そこに、柳の枝を結んで作った輪っかが入っていた。知覧に来てから、出撃するたびに、整備兵の中山が作って渡してくれるお守りだ。
「大昔の中国の風習です」
編んだ青葉を最初に金本に贈った時、中山は言った。
「中国語で「環(輪)」は、「還(もどる)」と音が通じますから。無事に戻ってきてほしい人に、柳を編んで渡していたそうです」
中山の祈りのおかげか。これまで、海の藻屑となることなく、金本は仲間たちと毎回、帰還できた。
--今回も、そうありたいものだ。
真っ暗な操縦席で、金本は願う。しかし、金本はまだ知らない。
この時、ささやかな希望を打ち砕く存在が、すでに音もなく忍び寄ってきていた。
それは漆黒に塗られた米軍の双発機だった。
機首に、黒衣のウエディングドレスを着た女が描かれている。
ベールをした花嫁には首から上の部分がなく、手袋をはめた両手に一丁ずつ、機関銃をかまえていた。
「--リンドン、リンドン、リンドンドン…」
操縦席で、パイロットが小気味良いリズムで鼻歌を歌う。ゴーグルの下の褐色の瞳が、月光が差した一瞬、すっと細くなる。
アメリカの夜間爆撃戦闘機、P61。通称「ブラックウィドウ」。
パイロットであるエイモス・ウィンズロウ大尉は、眼下に飛ぶ日本軍機の数と種類を、海面に落ちる影から、刹那に判断した。
ーー戦闘機が十一機。大型爆撃機が一機…。
ウィンズロウは笑みをひらめかせ、機内電話ごしに同乗者たちに告げた。
「--やるわよ。攻撃開始」
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