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第19章㉒

 変化は唐突かつ急激だった。  その瞬間まで、誰も気づけなかった。黒木も、蓮田も、今村も。そして、一同の中でもっとも索敵に優れているはずの金本も。  夜が黒紗の帷となって、危険すぎる「首無し花嫁」の姿を覆い隠した。  前方で、線香花火のような小さな火が弾けた。それが機関銃の閃光弾だと悟るより先に、空中にそろばん玉ほどの火球が生じた。  狙われたのは、一番先頭を飛ぶ九七式重爆撃機だった。複数の12.7ミリ機銃が命中し、発動機から炎が上がっていた。 「敵襲…!!」  黒木の声が、無線をかけぬける。  編隊後方を飛ぶ金本は、敵の姿をとらえようと、暗闇に目を凝らした。しかし、敵の姿を捉えるより先に、高度を落とした九七式重爆に向けて、上方位から第二撃が来た。  火球がもう一つ生じる。かがり火と呼ぶには小さい。広大な闇の中では、提灯に灯るろうそくほどにしか見えない。  だが、それはすぐに全幅二十二.五メートル、全長十六メートルの爆撃機を飲み込む大火に転じた。  海面へ、炎を吐き、きりもみしながら九七式重爆が墜ちていく。その姿はあたかも、灯火に近づきすぎて焼かれた蝶に似ている。  その姿が完全に消え去るより先に、黒木の声が響いた。 「隊列を崩すな! 離脱する!!」  誰も反論しなかった。好戦的な蓮田でさえだ。  日中であれば、敵機を視認して、包囲し撃墜できただろう。しかし、夜は全ての状況を一変させる。昼であれば、数キロ先から見える航空機の機体は、夜には三百メートルほどまで近づかないと、肉眼では気づけないと言われている。たとえ月明かりがあっても、六百メートルが限界だ。  まして、先刻の手際の良さから考えて、敵機は間違いなく電探(レーダー)を積んでいる。  その状況で戦うのは、こちらが目隠しされているのに、相手がそうでない状態で、殴り合うようなものだ。下手な反撃は通じず、最悪、同士討ちになりかねない。  護衛すべき特攻機は、すでに南の空へ去った。ここで無理をして戦い、損害を出すのは、愚行でしかない。  一発も撃つことなく、黒木たちは正体不明の敵から、全力で逃げ出した。  …P61の後方、レーダー手の席に座るローラン・アラルド少尉は、ディスプレイに映る敵機の動きに、じっと見入った。 「我々から、離れていく。かなりの速度で北へ向かっているが、追うか?」 「いいわ。そのまま、行かせてあげなさい」  機内電話ごしに、ウィンズロウは答える。 「誘導していた爆撃機は撃墜した。残っているのは、レーダーを積んでいない単座の戦闘機だけよ。放っておいても、大丈夫」 「確かか?」 「ワタシの目、疑うの?」  アラルドから返事はない。沈黙はこの場合、ウィンズロウの正しさを認めるものだ。  機体をゆっくり旋回させながら、ウィンズロウはふっと、息を吐く。 「今、奄美大島の北の海域でしょ。ワタシの記憶が正しければ、種子島まで二百キロ、九州最南端までなら三百キロある。あちこちに、いくつか小島はあるけど」 「ああ…」 「あの戦闘機の集団は、九州南部の飛行場から飛んできた特攻機か、その護衛に違いないわ。ここに来るまでに使った燃料のことを考えれば、夜明けまで飛び続けるのは無理よ。必ず、数時間かそこらで、どこかに降りないといけない。真っ暗な海の上で、レーダーもなく、爆撃機の誘導もなかったら……単座の戦闘機がどうなるか、予想はつくでしょう?」 「…まともな航法ができないから、時間内の帰還はほぼ不可能。運が良くて、見つけた小島に不時着。でなけりゃ海の上を彷徨った挙句、墜落というわけか」 「そういうこと」  ウィンズロウは夜の彼方へ消えていった者たちに向かって、つぶやいた。 「--悪いけど、これがワタシの仕事なの。日本のパイロットさんたち。せいぜい、幸運を祈るわ。さもなくば、少しでも苦しみの少ない最後を迎えられるよう願うわ」

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