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第19章㉓

 …黒木はまさに、幸運の女神のえり首を引っつかんで、力づくでも言うことを聞かせたい気分だった。  九七式重爆を墜とした敵機は、追撃してこなかった。けれども、気を変えて追ってくる可能性は残っている。警戒を、怠るわけにはいかない。  しかし、正体不明の敵以上に、立ち向かわなければならない喫緊の危機があった。 「各機、燃料残量を報告しろ」  黒木の元へ、次々と返答が上がる。どれも似たり寄ったりの数値だ。通常時の巡航速度で飛び続けて、二時間飛べるかどうかというところだ。  折からの深刻な燃料不足が原因で、黒木たちは知覧へ戻れる程度のガソリンしか積んで来なかった。それが、完全に裏目に出た。  黒木は脳みそをフル回転させて、近海の島々の位置関係を記憶から掘り起こした。  西北方向へ進路変更し、小島を見つけて不時着するか。  それとも、大型機の誘導なしで、ただ計器と星の位置だけを頼りに、三百キロ以上離れた飛行場へ戻るか。  黒木と、彼に付き従ってここまで飛んできた戦隊の精鋭たちの運命が、先頭を飛ぶ隊長の判断にかかっていた。 「……っ」  背中を冷たい汗が流れる。二月の戦闘のことを、黒木は思い出す。空中戦の最中に突然、何も見えなくなった。あの時の何分間かは、酔った時に見る悪夢のように頭の片隅に染みついている。  だが、今感じている重圧は、あの時以上であった。  島を探し出せても、十分な明かりは期待できないし、十一機の戦闘機が降りられる場所があるとも限らない。逆に、知覧へたどり着けず、時間切れになった場合は……。  夜の海に放り出されて、乗機もろとも海の藻屑だ。  黒木は風防ガラスの向こうに広がる夜空をにらむ。雲が流れていく中、北極星だけは見失わない。  もうこれ以上、あてどなく飛び続ける余裕はない。黒木は決断した。 「--全員。悪いが、覚悟を決めてくれ」  それは、命令ではなかった。命令すべきことではない。自分でも自殺行為としか思えない行為に、部下たちを道連れにしようとしているのだから。  けれども、死地に飛び込まなければ、万に一つも生き残れる可能性はなかった。 「賭けだ。知覧を目指して、北北東に進路を取る。うまくいけば、一時間足らずで種子島と屋久島の島影が、進行方向に見えるはずだ。ーー文句のあるやつ。今のうちに聞いてやるから、言っとけ」  数秒後、最初の返答があった。 「…こいつは今まで生きてた中で、五本の指に入るひでえ博打(バクチ)ですよ」  蓮田だった。こんな状況なのに、声からふてぶてしさは失われていない。 「だが、付き合いますぜ。負けて地獄に落ちる時は、せいぜいお供しますよ」  蓮田に遅れて、今村が言った。 「ついていきます。どうか、生き残らせてください」  他の者たちも、次々に黒木の判断を支持する。  金本が、最後に返事をよこした。 「お供します」  短く言ってから、黒木にだけ分かるように、朝鮮語で付け加えた。 「お前なら(ノラミョン)大丈夫だ(クエンチャナァ)自分を信じろ(チャシヌルミド)

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