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第19章㉔
搭乗員の一人一人が、さまざまな思いを抱えながら夜の海の上を飛んだ。
今村は緊張しっぱなしだった。何時間か後に、果たして自分が生きているのか、それとも死んでいるのか、そのことばかりが、ぐるぐると頭をめぐっていた。
蓮田は今の状況を楽しむ余裕のある、ほぼ唯一の人間だった。蓮田自身、そのことを意外に思っている。賭けに勝って、生き残れれば上等だ。たとい死ぬことになっても、黒木が道連れである。あの危険で、傲慢で、唯我独尊的な美貌を持つ男と心中することを想像すると、妙に心が満たされた。
金本は、黒木の技倆を信じていた。それでも今日、同じ時に死ぬかもしれないと思った。
蓮田と違って、金本はそのことに少しも心が動かされなかった。最後の瞬間が、今夜ではなく明日なら、さらにもっとその先なら、その方がずっと良かった……。
…飛び始めて四十分。夜の世界で、それは最初、微かな黒い染みに過ぎなかった。だが、さらに五分ほど飛び、形が徐々に大きくなるにつれ、黒木は確信した。
「おい、幸先がいいぞ。三時方向に島かげが見える。正しい進路で飛んでいる証拠だ。あと、一時間の辛抱だ」
無線を通じて、黒木は全員に知らせる。それに対し、まばらな返答が入る。
部下たちの反応の鈍さに、黒木は危機感を覚えた。
日中の陸上なら、一時間足らずの飛行など問題にもならない。だが、今は夜の海を、誘導機なしで飛んでいる。その最悪の状況下で、極度の緊張を強いられた何人かが、確実に精神的にまいりはじめている。
このままでは、一瞬の気の乱れで、隊列から脱落しかねない。
何か喝を入れなければーー黒木がそう考えた矢先、無線から蓮田の声がした。
「大尉どの。もし無事に戻れたら、お願いしたいことがありまして」
「何だ?」
「前に、着て見せてくれた花柄の着物。べらぼうに似合ってたんで、もう一回、着てくれませんかね?」
黒木は目をしばたかせた。一瞬、何を言い出すのかと、不審を抱く。
しかし、黒木は間も無く部下の意図を察した。
無線を聞いた全員が、間違いなく耳をそばだてている。寝床で同輩から意外な打ち明け話をされた時のように、好奇心は緊張や精神的重圧を和らげる効果がある。
酸素マスクの下で、黒木はニヤッと笑い、蓮田に話を合わせた。
「着物って、貴様と金本曹長に見せた女物のやつか」
「そう、それです」
「悪いが、あいにく調布に置いてきた。しかもあの着物は、長生蘭が柄に入っているから春先にしか着れん。今の時期は、もう季節外れだ」
「…そいつは残念」
「気落ちするな。知覧に帰れたら、別の着物を手に入れて、着てやるよ」
黒木は意図的に一呼吸置いて、言った。
「その時は、貴様ら全員に見せてやる。自分で言うのもなんだが、目の保養くらいにはなるぞーーだから全員、気張れ。こんなところで、うっかり脱落するんじゃないぞ」
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